ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

なにも考えていなかった男がアフリカに行くことになるまで   ~その参~

最近のマイブーム。

和田アキ子の「形態模写」を完璧にしてのけるものまね芸人「Mr.シャチホコ」だ。

音だけ聞いていれば完璧に和田アキ子である。

声はもちろん、話し方や抑揚の付け方、

時折息が詰まったり言葉の節々のちょっとした噛みなど、もうすごすぎるのだ。

 

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そしてもうひとつ、「エアトレイン選手権グランドチャンピオンによる電車の一部始終ものまね」である。

これもまた「形態模写」だ。これも技術がすごすぎる。

どうやってドアの閉まる音を出しているのか。電車が動き出したときの独特な「ウィーーン」「ブオォー」という音をどうやって出しているのか。

ただただ感服してしまう。

 

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かくいう僕も、時々「形態模写」的なものまねをすることがある。

ハナモゲラ語タモリがよくやる「その国の言葉っぽく聞こえるけど適当にしゃべっている」アレ)で中国人になって麻雀を打ったりしている。

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↑これはいつ見ても感動する。まさに一流である。

いつも何か新しいネタはないか模索しているので、逆に要望があれば聞きたいくらいである。

形態模写的なものまねに興味を持ったきっかけは、中川家の漫才とか即興コントだ。

声とかを似せることがものまねだと思っていたのに、かたちや雰囲気を似せることもものまねとして通用することを僕は見せつけられたのだ。

それ以来、ずっと形態模写には取り組んできた。その結果、人のいろいろな「クセ」や「特徴」に少しずつ気づくようになった。これが唯一の恩恵だろうか。

 

 

さて、余談が本流になりそうなので、話の続きをしよう!

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僕がまさかの最終選考に残り、アフリカ行きの航空券を獲得するべく行動を開始して、

1日目が終わったところから話は再開する。

 

2日目以降の朝、僕は起きたら真っ先にFacebookの「いいね!」の数を確認した。

はっきりとは覚えていないが、まだかなりの差がついていたのは覚えている。

 

ただ、「いいね!」はみなさんご存知の通り、押せばすぐに反映される。つまり、10分経てば投票数は変動している可能性があるわけだ。

とはいっても、2日目時点ではまだまだ票差もあるし、結構、余裕をきめこんでいた。

わかりやすいのが、童話「うさぎとかめ」のうさぎだ。メッセージも数百件送るなどして投票の呼びかけをしてはいたが、わりといい感じにロケットスタートしたのをいいことにだいたいの人達に呼びかけたら、僕はちょっと落ち着いてしまった。

 

 

後ろに”例のあの人”が追いついてきているとも知らずに、、、

 

 

少し日にちが経ち、投票がはじまって1週間ほど過ぎたころ、

「いいね!」の数は僕がまだまだ優勢だった。加えて、毎日2ケタの数の「いいね!」が増えている状態であり、まだまだ余力もある状態だった。

ただ、1週間ほど経つと他の写真にも、当然「いいね!」が増えていく。

そこで他を見てみたところ、唯一、追いかけてきている写真が1枚あることに気付いた。

それが、エントリーNo.3の「マサイ族のムーディな写真」(以下、マサイ族)である。

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そのままだとちょっとアレだと思って、モザイクをかけました。

例えば僕の写真に100いいね付いていたとして、マサイ族が80、他が20や10くらいの距離感だ。そこまで緊張感を持つほどではないが、姿は見えているので後ろにいることを確実に認識する程度。

 

それ以降(1週間が経過したあたりから)、マサイ族は僕の後ろ2~30いいね差を常に追従してくるようになった。

 

実は、この状態が投票開始から2週間ほど経過するまでずっと変わらずだったのである。

あちらが10いいね増やしたのならば、こちらも10いいね増やす。

しかし、こちらが15いいね増やしても、あちらも15いいねほど増やしてくる。

そんな状態で、こう着しつつも両方いいねの数は着実に増やしていくかたちとなった。

正直、こういう状態の時は、1位の方が苦しく辛い気がする。常に後ろにぴたりとつけられている状態であり、時にあちらがぐっと差を詰めてきて、慌てて差をつけようと力を入れなければならないことも何度もあった。

頼りに出来たコミュニティにも限りがある。

いいねを得るための頼みの綱も少しずつ減ってきていたのが事実である。

 

 

少しずつ僕は削られていった。そして、明らかに焦っていた。

 

競馬でいえば、スタート直後思いっきり逃げを決め、最高のスタートが切れて他の馬もペースについていけず独走状態となっているところ、マサイ族だけが少しずつ差をじりじりと詰めてきて、残りはまだ1000mくらいあるのに、もう、すぐ後ろにつけてきている状態だ。逃げ馬である僕からすれば、「もう飲み込まれる!」と思うところである。

しかも差が縮まっているのは、相手がペースを合わせてきているのではなく、明らかに”僕がバテてきている”からなのだ。それを僕も認識している。

2週間経過している時点でこの状況で、投票期間はまだ1週間ある。しかし、僕はもう力があまりなく、底をつきかけている状態だった。一方、マサイ族はまだまだ余力がある感じがしてならなかった。ネガティブな状態になると、マイナスなことしか考えられなくなる典型例だ。

 

 

そう、投票開始から2週間が経ち、形勢は逆転しかけていたのである。

 

なにも考えていなかったことがここで一気に足を引きずり、後ろに引っ張ってきたのである。

僕はここで静かに負けを認めつつあった。いいねの量についてはどうしようもできない。いちどいいねをもらえば、その人からのアシストは終了である。

今思えば負け惜しみ甚だしいモンだなと思うが、「まあ、2週間よくがんばった」と言い聞かせ、半ば諦めムードで僕は2週間の投票期間を終える。

そして、運命の3週目、最終週に臨むことになった。

 

次はついに運命の最終週(7月16日~7月20日を書きます。ここでドラマが生まれた。と思う。

 

~その肆に続く~(←これで肆(よん)って読むんだ!笑)