ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ76日目〜ケニア編②、エチオピア編15〜

さあ、アフリカ最終日だ。

 

今日は夜中1時過ぎくらいから朝4時くらいまで寝て、そこからごろごろと横になりつつ起きて、朝7時の飛行機を待った。すこしの肌寒さと、さみしさが身体を覆う。

 

7時になり、乗りこんだ飛行機では映画を見た。いや、厳密には見ながらも、寝た。

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乗った飛行機。まぶしくてちゃんと撮られたかわからなかったが、思いきりシルエットになっている。


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CARGO(貨物)と書かれた飛行機。窓がないところからも、貨物機なのだろう。ものめずらしくて取ってしまった。ほかにも、滑走路にていざ飛ばんとする離陸直前の飛行機を見たり、ちょっとテンションが上がった。

しかしそれもつかの間、飛行機に乗りこんだあとは、うとうとしはじめ、起きたときには朝ごはんが届き、そのあとは寝ぼけた状態であっという間にアディスアベバまで着いてしまったという感じだ。ナイロビからアディスアベバまでは2時間ほど。これまたかなりはやい。

アディスアベバの空港に着いたのは朝9時ごろ。今日はここから23時まで待機だ。個人的にはもう空港から出なくてもよかったので、そのまま搭乗ロビーの前のところ(お土産屋などがある待合スペース)で待てないか聞いてみた。そうしたら、オッケーだった。そのまま入国などのめんどうな手続きはせず、ただトランジットのために14時間も待ってもオッケーになったのだ。ありがたい。f:id:daikikono:20190710033302j:image

しかも、待ち時間がめちゃくちゃ長いから、という理由でラウンジでの昼めし無料券をくれたのだ。おかげさまでカレーみたいなやつとヤギ肉と米を大量に食えた。おまけにそのまま昼寝もかましてしまった。座って寝たのでしばらく痺れた。
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こんなところ。プレハブっぽい感じがするが中はちゃんとしたところ。

 

そうこうしているうちに、なんと時間は15時過ぎ。実は最初のエチオピア旅行の際、エチオピア通貨のブルを死ぬほどおろしていて、めちゃくちゃ余っていたのでどうにかして使いたかったので、あえてデザートを食べたりしてお金を使っていたのだが、なんとこのエチオピアアディスアベバにあるボレ空港、デューティーフリーショップでは自国通貨のブルが使えないのである。これには驚きだ。USドルしか受け付けていないらしい。ここをどこだと思っているのだろうか。

その結果、あまり使えないまま時間は過ぎていく。

 

と、ここで驚きの情報が。

各便のスケジュールを映す掲示板によると、ぼくらの帰る便は予定より70分はやまって、22時15分に出発すると書いてあるではないか。これはいかん。なぜなら、ぼくの友人はまだキリマンジャロにいて、アディスアベバに着くのが20時40分頃だったからだ。間に合わないわけではないが、ギリギリである。しかもなぜかメッセンジャーが使えず、連絡も取られない。仮に彼が着いたとしても、探すのに手間取っていたら時間がなくなる。余計に焦るが、正直今までもなんとかなってきたので、それ以上は焦らなかった。

 

時間は20時30分。

何を買おうか決めあぐねていたところで、そろそろ友人も着いただろうか、と思ったので探そうと思い、その前に売店に入ったら、友人がいた。

おお〜なんという偶然。探す手間もなにもかも省けた。最短効率で友人を発見できた。

しかも、あらためて掲示板を見たらぼくらの便の出発時間は23時15分になっていた。ほぼ以前の定刻どおりになっていた。まあ、焦るよりかは何倍もマシだ。先に荷物検査も済ませ、今は22時前だがすでに搭乗ゲート前で待っている状態だ。

 

ただ、てっきり22時過ぎには出発すると思いこんでいたぼくは、お金を使わないともったいないと思ったので大急ぎで買った結果、残った50ドル近い金額を全てエチオピアコーヒーの粉末に使った。そのため、ぼくは今、コーヒーの粉を1.75キロ持っている。500グラムが3袋と、250グラムが1袋。3種類の粉を持っている。

どこかに持っていこうと思う。

 

そんな感じで、エチオピアのお金も使い果たし、あとはマジで「飛行機に乗るだけ」になった。

飛行機に乗れば、次行動するときの場所は日本である。

とにかく、無事に、なにも取られることなく、実害行為も受けず、無事に帰れそうである。よかった。

 

 

今回の旅行でわかったことがある。

「ぼくはまたこういう長旅をしたいかもしれない」

ということだ。

どこかビッグな観光地(キリマンジャロのように目的も費用もでかいところ)には直接的に行かず、以前の記事にも書いたが、街にしばらく滞在して、そこで気の移ろいとともに移動をして、ローカルに溶けこんでいくイメージをもって過ごしていく。そんな感じで再び日本を出るときが来るかもしれない。と思った。

今まで、ぼくはこんな長く日本を離れて旅行をすることがなかった。今回の体験によって、長旅にすこし免疫がついた。いきなり1年とか行くのは日本恋しいネタを通り越して、ホームシックの原因になりうるが、また2ヶ月や3ヶ月くらいの旅はしてみたい。

そう考えている自分にも、嫌気がさすことはない。むしろ「旅できるのか、おれ!」という感じである。

きっと、ほかの旅行者と比べればアクティブさには欠けると思う。観光地にはあまり行こうと思わないし、同じところに行くのを好み、アフリカ特有のミニバスも好きではない。ただ、余裕を持って外の雰囲気を感じられればよいのだ。

 

自分自身の理解が深まったうえで、アフリカはおもしろいところだということがわかった。

そして、普通である。

正しい言い方かわからないが、アフリカに行くことは、別にヨーロッパへ行くことや東南アジアに行くことと変わらない。

きっとみなさんが想像するアフリカは、それはそれでちゃんと存在している。汚いところは汚いし、危ないところは危ない。原始的なところは原始的である。

では、外国人が想像する日本はどうだろう。

どこにでもゲイシャはいるのだろうか。サムライなんて今はいない。安全な国だと言われても、結構事件は起きている。どこでも綺麗なわけではない。都心は汚い。トイレもくさい。みんな優しくて礼儀正しいかと聞かれたら、日本社会には薄く伸ばし広げられたストレスが蔓延しているような気がする。自発的な優しさや礼儀正しさは、日本にどれほどあるだろうか。

結局、ぼくらもアフリカのことを、そして彼ら(他国の旅行客も含め)も日本のことを、イメージ先行で話している。これを覆すには勉強をするか実地に行ってじっくりと観察するしかないので、イメージ先行はある程度は仕方ないことだが、これを乗り越えることこそが異文化理解の発端ではないかとも感じた。

今回、アフリカを実際に旅することができて、経験則的な話をすることがひとまずできるようになった。今度は、日本でいろいろと「比較」するタイミングである。

 

最終日ももう終わりに近い。

そろそろ23時だ。最後のボーディングまでまもなくである。

 

この旅行はぼくの何になるだろうか。

わからないが、今わかっておく必要もないので、来るべきときに何かになればそれでよい。別に、何にならなくてもよい。

確かにこの自分の脚でアフリカの地を踏みしめたことは、しっかりと心に刻まれている。

 

あぁ〜2ヶ月半楽しかった。充実していた。

 

これから帰国します。