幻のアフリカ77日目(8時~23時)~エチオピアから出られない編~
ベッドにダイブした直後、ぼくの意識だけは日本に行ったものの、身体はエチオピアにあった。
起きたのは朝8時過ぎ。2時間ちょっとしか寝られなかったのだが、さすがちゃんとしたベッド、それくらいの睡眠時間でも、身体は結構休まっていたように思えた。昨日(というかほぼ、さっきのことだが)言われた朝食も、せっかくなので食べようと思い、友人とともに1階のレストランへ。実際、かなりお腹はすいていた。
朝食はバイキングで、マジで好きなものだけを食べた。ポテトと、オムレツを頼み、そして地味に2か月半ぶりに見たパンケーキを8枚食べた。シロップを死ぬほどかけ、朝から血糖値を爆上げしたのを覚えている。
10時には空港行きのシャトルバスが出るということだったので、ぼくらと同じ観光客がぞろぞろと出てきた。朝食バイキングで再びアベンジャーズが集結したりもした。
時間は9時50分。すでにバスは着いたらしいので、まあ、いろいろあったが、これでエチオピアからも脱出だ、もういいです、と思いながらシャトルバスに乗った。すると、また新たにケニア人ビジネスマン(日本語を話せる)がアベンジャーズに加わった。時々、あいづちで「まあね」とか言われるのは地味に笑ってしまう。
さて、10時過ぎにぼくらは空港に着いた。もう荷物検査も慣れたもんである。そしてチェックインのカウンター前に、昨晩の飛行機に乗っていた人々がぞくぞくと集結した。で、おそらく全員集まったところで、なんだかへんな状態になった。
なにも起きないのである。あれ、なんかこういうときって、チケットとかそういうのが渡されたりして次のイベントにうつるもんではないの?と思ったが、なにか起きる気配がない。ただ、アベンジャーズとも一緒なので話し相手には困らないため、そこまでストレスはたまっていなかった。むしろ、「こんなこともあるよな、アフリカだしハハハ」くらいの状態だった。ちなみに、ここで神奈川の座間にバーを持つウガンダ人おばちゃんもアベンジャーズに加わった。ちなみに彼女とはまだつながっている。
しばらく待っていて、ようやく気付いた。
ここでぼくらは、大前提から疑わなければならなくなった。
飛行機はいつ飛ぶのだろうか?
昨晩、ホテルのバウチャーをもらう際に、その紙に「10:00 12:00」と書かれていたのだ。これを鵜呑みにしていたぼくは、てっきり飛行機は昼12時ごろには飛ぶものなのだとばかり考えていた。だって、シャトルバスも10時にホテルを出て10時過ぎには空港に着いているのである。そりゃあ、多くの人は昼出発だと認識するだろう。ぼくもそうだった。ただ、ぼくはその部分から疑わないといけなくなってしまったのである。
そして、ずーっと待った。幸いにも、アベンジャーズがいてくれたので話が尽きず、待つことに苦労は感じなかった。そして、空港に着いてから3時間近く経ったころ、にわかにまわりがざわざわしはじめた。どうやらなにか動きがあったようである。近づいてみると、どうやら航空券の控え等が配られているらしい。おお、これで次イベントにいけるぞ、と思ったぼくらはそのざわざわに入った。そして、エチオピアにぼくの名前が響いた。
「コノ!コノ!」(ぼくの名字はコウノなので)と呼ばれたのでぼくは挙手して「はい」と答えた。すると、A4サイズの紙3枚をホッチキスで留めたものが渡された。そこには、なぜかまたホテルのバウチャーと、そしてぼくの航空券控えと思われる紙があった。なんと、、、飛行機の出発は今日の23時過ぎだった。そう、ぼくは再びアディスアベバに帰ることになったのだ。
しかも、航空券控えをよく見てみると、、、
「ADD-BKK」「BKK-NRT」と書いてあるではないか。
ん?と思った。ADDはアディスアベバ、つまりこの地である。NRTは成田、日本だ。本来ならADD-NRTになるはずである。だが、、、なんだこの「BKK」は?
そう、バンコクである。タイの。なんと、代替便は直通便からバンコク経由へと変更になったのである。むむむ、ひょんなことからバンコクへ、である。
こうしてぼくは明日、バンコクへ飛ぶことになった。さすがに疲れているので、もう入国することはせず、空港で寝ていようと思った。
そんなことを考えているうちに、空港にいても仕方ないのでシャトルバスに乗って再びもらったホテルに行こうという感じになった。そして13時過ぎ。ぼくらは再びアディスアベバ市内に戻ったのである。
これはアディスアベバ市内である。
これを「見飽きた」と感じられるのは、一種のぜいたくだったのかもしれない。
なぜ、ぼくはアディスアベバからバンコクに行くのだろうか。しばらく考えてみたが、「そうなったから」以外の理由が思いつかなかった。
2度目のホテルにあった受付の時計。なぜかヤクーツク。
ロシアの都市で、サハ共和国というロシア連邦内国家の首都らしい。ちなみにサハ共和国は面積の40パーセントが北極圏内にあり、くそ寒い。しかもめちゃめちゃでかく、ネットによればインドに次ぐデカさらしい。しかも、オイミャコン村という、1926年に氷点下71.2度の文字通り草も生えない世界最低気温をたたき出した村をもつスーパーくそ寒都市である。
そこの時間が、なぜアディスアベバにあるのだろうか。ここからはぼくの想像だが、世界の時計を4つ用意しようということになって1つ枠があまり、なにか突飛な場所を選ぼうということになっていろいろ調べたところ「ヤクーツク」という極寒都市を見つけて「うひょーここすごいじゃん!(笑)」となったエチオピア人が採用したのではないだろうか。あと、貼り付けたラゴスも気になる。なぜラゴスに変えたのだろうか。
ホテルを出ると、道に出た。
なにもない。
犬も寝ている。特になにもない。
そんな感じで、昼食はホテルのバイキングでとり、その後、上の写真のように少し散歩して、17時頃に再びホテルの部屋に戻った。そこでぼくは仮眠をとった。2時間ほどして起き、シャワーを浴びた。そしてなんと、2ヶ月半ぶりにドライヤーを発見。喜び勇んで伸びに伸びた髪を乾かしたのであった。ちょっと楽しいと思えたドライヤーは、たぶん人生で初めてだった。そしてリアルタイムでなぜかロボコップ3を見ることが出来た。テレビでやっていたのだ。そのあと、夜ご飯のバイキングを食べ、時間も更けて21時頃。ぼくらは何度目かわからないシャトルバスに乗り込むことになった。
そして空港に到着。
そこでチェックインをすることになったが、とんでもない行列。
正直疲れていたので、近くにいたスタッフのにいちゃんに事情を説明してプレミアム列の方に行かせてもらえないか聞いてみたところ、行けた。理由が「疲れた」でも、案外いけるものである。
そしてチェックイン。ようやく飛行機に近づいてきた。
そして諸々の手続きを済ませ、22時過ぎ。ようやくエチオピア、ひいてはアフリカから出ることができそうだ。もう疲れた。
なぜかこれからタイのバンコクにむけて飛ぶことになった。
23時までもう少し。しかし、ぼくはもはやカオスの状況に慣れつつあった。
「ああ、最後の最後にすっごいアフリカらしい感じを体験したな」と思いつつ、アベンジャーズとともに飛行機に乗り込み、ぼくらはついにアフリカの地をあとにすることになる。