ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ79日の行程を終えて~そして再びアフリカの世界へ

日本に帰国したのは7月12日の昼すぎ。

普段ならすこし遠いと思う成田も、この日だけはとても近く、そして親しみを感じる場所だった。日本に住んでいたはずなのに、どこか日本すら外国のように感じたのは、きっとアフリカに多少の思い入れがあったからだろう。

 

帰ってからというもの、人に多少会った。そして、定食なども食べた。日本に着いてから、はや1ヶ月ほど経つ。しかし、あらためて日本のめしはうまいと感じる。どこのなにをとってもうまい。そして、だしの文化がある。うまみがある。アフリカにうまみの概念はない。これはもしかしたら他の地域でもそうかもしれない。後味とか、風味とか、なんなら余韻とか、そういうところに日本の食べもののおいしさはあるのかもしれないし、ぼくはそれをおいしいと思う。

とにかく、成田に着いた直後は全てが真新しく感じた。

「日本語の看板だ!」「バスだ!」「日本語だ!」「道路だ!」「並んでいる!」みたいな。とにかく、すべてが新しく、興奮状態だった。スーツケースをバスに運び入れるスタッフのにいちゃんを見て、「これはアフリカならお願いしてもいないのに勝手に入れられて、そのあと絶対金取られるやつだな」とか思ったりして、すこしおもしろかった。

成田から東京駅までのシャトルバスを使って、ぼくと友人は最後の共同移動をした。ぼくは東京で降り、友人はその先の銀座まで。ぼくは一足早く、東京の地を踏むことになった。降りたときには、雨が降っていた。日本はまだ梅雨明けをしていなかったみたいで、ぼくの「アフリカから帰ってくる頃にはカンカン照りだろう」という読みはみごとに外れた。一緒に乗ってきた外国人観光客もいそいそとレインバッグの準備をしている。横には、スーツケースを持った祖母母娘の3人組が。ぼくは少し東京の街並みをぐるりと見まわし、あらためて日本に帰ってきた感覚を味わいながら―映画「ゼロ・グラビティ」のラストで、主人公のサンドラ・ブロックが重力に負けて少し笑うように。ちなみに、ぼくは日本帰国前の最後に見た映画が「ゼロ・グラビティ」だった―、スーツケースの3人組が東京地下街行きの階段に向かうのを見て、自分もと思い、そちらに向かった。すると、祖母がスーツケースを持って階段を降りることに難儀していたので、半ば反射的に手を貸すことが出来た。

自分でもあまりわからなかったが、なぜか出来てしまった。普段はあまりしないのだが。どうやら、鳥取から来たらしい。「ぼくも青春きっぷを使って一度鳥取砂丘まで行きましたよ。お気をつけて」とスマートにカッコつけながら、「じゃ、これで」と言ってぼくは東京地下街の迷路みたいなアーケードに颯爽と消えていった。そしてそのあと、結構迷った。結局、地上に出た。

 

そんなことももう1ヶ月以上も前の話だ。

アフリカでも、時が過ぎるのははやかったが、日本に着いてからはもっとはやく感じている。

現に、この記事を更新しようと思って駅前のスターバックスに行って途中まで書いて、残りはあとでやろうと思ったら、3週間も経っていたのだから。

今はお盆休みに行った台湾からも帰り、すっかり9月にさしかかってしまった。

ここ最近の天候を思うと、真夏も通り過ぎたのかもしれない。

秋に向かっている感じがする。

 

 

明日、再びアフリカの世界に足を踏み込む。

といっても、横浜で。

TICAD7(アフリカ開発会議)が現在開催されており、それの公式サイドイベントにお手伝いとして行ってくるのだ。

不思議な縁である。ぼくのアフリカジャーニーの支援をしてくれたインターメディアジャパンが、誘ってくれた。とてもありがたい。

 

また後日、いろいろとぼくの近況も含め、記事を更新しようと思います。

 

そろそろ、アフリカからはいちど一歩ひいたかたちでの生活になると思います。