ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

幻のアフリカ77日目(深夜0時~早朝6時)~エチオピアから出られない編~

日本に帰ってきてから3週間ほど経った。定食や串カツ、魚介類などを食べに食べてやっぱり「日本のめしは全部うまい」と再認識している真っただ中だったのも過ぎ去り、今は塾に戻って絶賛夏期講習中である。

屋外はむわぁっとした暑さに絡みつくような湿気。

屋内は「涼しい」を通り越して「冷たい」と判断してしまうエアコン制御下。

こんな感じで、身体の調子はちょくちょく崩れている。喉がイガイガとして、くしゃみや鼻水もちょこちょこ出る。まあ、アフリカで2か月半過ごした後の身体なので、今はあらためて「日本の環境にあわせるパッチ」を自分にあてているような。日本環境に適合すべくソフトウェアアップデートをしている感じだ。

 

さて、ここからは、ぼくの帰国の途での話をしていこうと思う。

幻のアフリカ77日目ということで、アフリカ76日目〜ケニア編②、エチオピア編15〜 - ひょんなことからアフリカへの記事を書き終わり、無事に投稿した23時前(飛行機に乗る直前)以降からの流れを追っていくことになる。

 

ぼくらの帰りの便は7月9日の23時25分にエチオピアアディスアベバを発ち、翌10日の20時過ぎには成田に到着するというものだった。

76日目の記事を書き終わったぼくは、安堵と達成感、そしてさみしさを感じながら、間もなくやってくるボーディングに向けて待っていた。

そして飛行機の搭乗がついにはじまった。すこし遅れていたみたいで、すでに23時30分ごろにはなっていたが、「まあこんなこともあるけど、もう帰るんだから」ということで気にしていなかった。そしてぼくらは、空港の9番ゲートでチケットを見せ、外に出て、飛行機行きのバスに乗り込んだ。バスが出て3,4分ほどしたところに、ぼくらの乗る飛行機があった。

これで最後か、、、そう思ったぼくは、バスから降りて思わず地面に手のひらをぺたりと付けた。まるで、引退する先発投手がマウンドに手を置いてこれまでのことに思いを馳せるかのように。そして、搭乗の直前、ぼくは友人と握手を交わした。これまでの体験に感謝し、日本にいざ帰ろうと思ったときには、ぼくも友人も握手を交わしていたのである。

時間は0時前。そろそろ10日になる。ぼくらを含め、みなが飛行機に乗り込んだようだ。あとは離陸を待つのみ。多少の疲れもあってか、ぼくは結構ウトウトきていた。浅く眠りについていた中で、飛行機がゆっくりと滑走路に向けて発進を開始した。ゆっくりと、でも確かに感じるエンジンの走る音。それを感じながら、ぼくは離陸を待った。

待った。

待った。

待った。

しかし、なかなか飛ばない。

まあ、飛行機のスケジュールもいろいろあるだろう。と思ってはいた。

時間は0時15分ほどを指していた。

「気配」というものを人間はどこから察知するのかはわからないが、ぼくはこのとき、「飛ぶ気配」を全くといっていいほど感じなかった。飛行機も進んでいる。エンジンもついている。機内にはシートベルト着用のサインがついているのにもかかわらず、である。それでもぼくは、この飛行機が「飛ぶ気配」を感じなかった。すると、飛行機はどこか逆戻りしている気がした。滑走路から、再び飛行機のもとあった場所へ。

この予想は、当たってしまう。時間は0時30分。飛行機は、もといた場所に戻り、ついには止まってしまったのだった。しかし、それでもなおぼくは結構眠かった。今起きている出来事に感情を震わせるよりも、寝たいという欲求に抗いたくなかったのだ。

 

ふと、意識の遠くで英語が聞こえた。

「この便は、、、キャンセルに、、、なりました。」

そんなアナウンスが、機内で流れていた。そしてまた眠り、数分後。目を覚ましたら、乗客がみな立ち上がり、荷物を出している。そして、降りる準備を進めている。ぼくらはもう日本に着いたのだろうか?いや、そんなはずはない。

そう、ぼくらを日本まで送る予定だった飛行機は、エンジンか何かのトラブルで、飛べなくなってしまったのだった。ここらへんからは少しずつ身体も起きだし、状況の把握に力を使えるようになっていた。

 

そして、1時前。ぼくらは再び、アフリカの地を踏んだのである。

思ったよりもはやい2回目のアフリカ。それは、嬉しさも楽しさもまったくない、ただただ「帰りたい」と思うだけのアフリカだった。ぼくらは再びバスに乗り、まったくウキウキしない到着ロビーに向かった。そしてロビーに着いたところで、受付は大混雑。どうやら、対処策としてエチオピア航空がホテルを乗客全員にあてがっている様子だった。ぼくの乗る飛行機は、日本に着く前に韓国のインチョンに一度立ち寄る。たぶん、給油とかの関係上だ。インチョンに行く予定の人も乗っていて、彼らは別の飛行機があったらしく、そのまま新たな飛行機へと向かっていった。成田に行こうとしている30人ほどの乗客のみが、この真夜中の空港に残されることとなったのだ。

受付の行列を待ちつつ、ぼくらは後ろのほうでリュックを枕に寝転がったりしていた。

しばらくすると、列が空いてきた。ぼくらも並ぶことにして、受付の社員の対応を待った。

ぼくらの隣には、(あとからわかったが)数人の男性がおなじようにいた。どうやら、ホテルはひとりひとりではなく、適当にグループとして考えて、まとめて取っているらしい。

突如として、ここ、エチオピアで、突然の6人組パーティが結成された。

ひょんなことからアフリカに来た日本人、アフリカに何度も行ったことのあるぼくの友人である日本人、松戸市で働いていたマリ人ビジネスマン、沖縄で勤務していたアメリカ人海軍兵士、フィリピン人男性旅行者、日本語を少し話せる日系ブラジル人?日本人?かもしれないおじいさんの6人。なんか、あんまりわからないがなんとなく「アベンジャーズ」っぽさが出ていてちょっと友人と興奮していた。少なくとも、昨今の映画のポリコレフィルターには引っかからないだろう。アジアもアフリカも入った、スーパーミックスドパーティである。(笑)

 

まずはトランジット入国をすべく、手続エリアへ。ちなみに、本来なら入国に50ドルほどかかるのだが、今回に関してはタダだった。

しかし、ここで第1の敵が出現。

ビザのハンコ押してくれないおばさんである。

おばさんいわく、「あなたたちの航空券はすでに過去のものじゃないの」ということで、押してくれない。まあ、単純に、言いがかりである。事情も分かっているのだろうが、あえてキレているんだろう。ぼくらも引き下がり、今度はエチオピア航空のスタッフを連れた状態で再戦。そうしたら通った。まあ、これだけ見ればそこまで多くの出来事が起きているわけでもなさそうだが、時間は夜中の3時。アベンジャーズでまとまっていたから笑い話にできたものの、身体はかなり疲れていた。

そこを抜けたあとは、もらったホテルのバウチャーをもとに、シャトルバスの乗り場へ。

ここで第2の敵が出現。

予期せぬ大雨アンド雷である。南半球は7月は一応、冬である。夜中の大雨ともなると、結構寒いのだ。これがばっちり、空港内からバス乗り場に行くまでのあいだの時間に降っていた。雨がやむまで待つなんてしたくもなかったので、仕方なく雨の中をバス乗り場まで歩くことに。

そして、大雨の中、ホテルのシャトルバスに乗り込んだ。

まずはぼくらアベンジャーズが乗り込み、しばらくすると他のアベンジャーズらしきグループも乗ってきた。結局15人くらい乗り、シャトルバスであるトヨタハイエースは人でいっぱいになった。ただ、人というのがみな観光客というのは、珍しかったのではないだろうか。

 

そして、ようやくホテルに向けて出発。

この時点で時間は5時前。雨のおかげで真っ暗だが、好天ならば少しずつ日が見え出してもおかしくなかった。

 

ホテルに着いた。

時間は5時過ぎ。受付で記名などの手続きをすませて、部屋に行く手筈がととのった。

と、ホテルのスタッフのにいちゃんが「朝食もつくから」と言っていたので、「何時ごろから?」と聞いたら「6時だ」と答えた。

時間は5時30分あたりを指している。思わずぼくは「あと30分後か(笑)」と笑い、まわりも同じように失笑していた。もう、着いた時には朝だったのだ。

 

そんなこんなで、ぼくは再びエチオピアアディスアベバに戻ることとなった。

なんとも言い難い、不思議な感覚に包まれた気持ちでぼくはシャワーをざっと浴び、(明日こそは飛行機は飛んでくれるだろうか)と思いながら、旅行中だったら絶対に行かないようなまあまあ値段の張りそうなホテル(2~30ドルくらい)のベッドに頭からダイブした。

 

~次回へ続く~