ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ53日目〜南アフリカ編24〜

朝9時すぎ。昨日のぶんのブログを書いていたら結構あっという間に1時間経ってしまった。歯磨きするなどもあったが。

歯磨きで思い出したが、最近歯磨きを怠っていたせいか、このまえ歯磨きをしたら歯茎から血が出てしまった。歯ブラシがヘンに入ったわけでもなく、いつも歯茎を磨く感じで歯周ポケットをくまなくやっているので、日頃から鍛えているつもりではあったが、やはり毎日の習慣がなによりも大切であることがわかった。

 


さて、これから喜望峰、そしてさらに南にあるケープポイントなどにむけて、バスで出発だ。

 

 

 

だいたい2時間ほど経った。次々と変わる景色のおかげであっという間の2時間だ。

ちなみに、昨日テーブルマウンテンで会ったブラジリアンインスタグラマーとは若干バスが違ったっぽく、一緒のバスではなかった。ただ、ケープポイントでバッチリ会うことができた。

ぼくの乗ったバスは、まずはじめにケープポイントへ。

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今までとは全然違った雰囲気の場所で、というのも、すごい数の観光客だったのである。中国人がめちゃめちゃいた。たぶんツアーで南アフリカに来るとここに必ず行くのだろう。

 

そのあとは、念願の、というか、正直な話、念願していたわけでもなかったのだが、というか、そもそもの話をしてしまえばアフリカに行く予定など人生においてなかったのだから、本来ならばつゆほどにも行く予定がなかった、喜望峰へ。

マジで「ひょんなことから」最果ての地(といわれる)、喜望峰まで来てしまった。

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時間は一瞬だった。

滞在時間はだいたい15分ほど。

しかも、日曜日だからかはわからないが、これまたすごい数の人。

「CAPE OF GOOD HOPE」と書かれた看板には人が群がっている。ちゃんと列ができていて、おっちゃんとおばちゃんが、まるで自分らが開拓したかのような面持ちで、特におっちゃんの方はガムを噛みながら、かぶっていた帽子を高らかに掲げて口を真一文字にしてカメラに向かっている。ツアー客らしく、そのおっちゃんらをはじめ、集団で写真撮影に臨んでいたところとかぶっていたようだ。

そこで、ほかの観光客が同じく看板前で写真を撮ろうとすると、そのツアーコンダクターが「どいてどいて」と英語で言ったり、ガム帽子おっちゃんに至っては手で「シッシッ」のポーズ。まあ、並んでるところを横入りされる感があるのはわかるが、ちょっと下劣である。

と思った瞬間、ツアーコンダクターが「はーい撮りますよー、はいチーズ」と日本語をしゃべった。一瞬耳を疑ったが、確かに日本語だった。なんだか複雑な気持ちになってしまった。喜望峰で、喜望峰まで来て、ぼくは日本語を聞いて、奇遇だななんて思いながらも、しかしあまり良い印象ではない状態で日本語を聞いて、声を出して苦笑いしてしまった。

 


そんなこともあってか、15分は一瞬だった。

 


でも、バスに乗って喜望峰を背に動きはじめたとき、ここを見つけ、アフリカ大陸をはじめて踏みしめたヴァスコ・ダ・ガマと同じ風景を見ているのかもしれないと思うと、心がじんわりとした。すこしだけ感慨にふけった。道路などはあれだが、あの岩やあのくさむら、あの地形、あの切り立った崖は、きっとヴァスコ・ダ・ガマも同じく見た景色だろう。

ぼくは今、喜望峰まで来たのだ。

バスの中でひとり、静かに、目標を達成したことに満足していた。

 


ここに、ぼくはアフリカをおおむね縦断したのである。

 


文明の発展は、地球を狭くした。いや、ぼくらの行動範囲を数万キロ広げた。ぼくらは思い立ったら数日後には地球の裏側にいられる。自分の住んでいるところから14000キロ離れたところに行ける。数日で。

そして、ぼくみたいに、人生においてアフリカに行く予定のなかった人間の運命をねじ曲げ、急遽、喜望峰までたどり着かせた。

 


「127時間」という映画がある。

個人的にとても好きで、刺激的で、ハッとさせられる映画だ。

主人公は生粋のアウトドア好きで、アメリカのキャニオンを駆け回っていた最中、砂漠の亀裂に入ったところ滑落、一緒に落ちた大きめの岩に腕を挟まれ、、、

という映画である。実話である。小説も読んだ。ブックオフで100円で売っていた。

 


その映画の中で、主人公がこんなことを考えるシーンがある。

”You know,I've been thinking. Everything is... just comes together. It's me. I chose this. I chose all this. This rock... this rock has been waiting for me my entire life. It's entire life,ever since it was a bit of meteorite a million,billion years ago. In space. It's been waiting,to come here. Right,right here. I've been moving towards it my entire life. The minute I was born,every breath that I've taken,every action has been leading me to this crack on the out surface.“

「この岩は、何億年も前、宇宙から隕石としてやってきた頃から、ぼくがここに来るのをずっと待ち構えていた。そして、ぼくは人生をかけて、“ここ”(腕を挟まれる場所)にやってきた。生まれてから、すべての行動が、“ここ”につながっていた。」

このシーンはぼくがアフリカに来てからというもの、何度も頭の中を駆け巡った。

厳密に言えばこの映画を見て以来、ずっと残り続けているシーンなのだが、アフリカに来てからは、余計、頭を巡るようになった。

ぼくが喜望峰に行くことも、アフリカに行くことも、ぼくが選んだことだ。そして、そうするために人生を過ごしてきた。ぼくが目にする何もかもが、そしてぼくが手にとって食べたり飲んだりするものが、ぼくが手に取るその瞬間をずっと待ち構えていた。そう考えると、途方もなくなってしまうのである。

すべては、ぼくが選び、そして、すべても、ぼくを選んでいる。そう思うと、偶然が必然になり得る。

 


そんなことをふと、でも、いつものように考えながら、ぼくは喜望峰を後にした。

 

 

 

喜望峰を出たときはすでに14時過ぎ。

次は、行く予定のなかったボルダーズビーチというところへ。実は有料なのだが、バス内でチケット販売をしていて、ノリで買ってしまった。

ペンギンを見られるらしい。そしてぼくは160ランドを支払ってペンギンを見に行った。

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実際には、ペンギンと“ヒト”を見ることができた。まあ、ヒトはジョークだが、ペンギンにあまりにも群がる人々を見て、どっちの方が数が多いのか数えたくなってしまったくらいだった。ちょっと、滑稽である。ペンギンにとったらボルダーズビーチは「ヒトを見られるビーチ」として評判なはずだ。

 


観光っぽいこともやり終え、気づけば17時30分。バスはウォーターフロントに着いた。ここまでくると、もはや最寄駅に着いたかのような感覚になる。

そこからは歩いて帰った。

シャワーを浴び、夜飯を食べた。もう言わずもがなだが、Foodinnで、である。

今日は日曜日だから忙しいようで、スタッフも勢ぞろい。スタッフのひとりが「よおグッドフレンド!」といってグーで拳を突き合わせる。もう慣れたもんだ。また行かなくては。

 


今夜は特に予定もないので、もう終わりだ。

しあさってにはケープタウンを出る。はやいもんだ。

 

 

 

しかし、喜望峰にたどり着いてからというもの、なんだか燃え尽き症候群みたいな感じになってしまっている。脱力感がある。わからない。とにかく、今はなにもしたくない。なんなら、はやくタンザニアに行ってしまいたいくらいのノリですらある。もう6月も中旬だ。というか、今年は6月は日本では過ごさないから、特に6月のことを考えても仕方がない。

 


アフリカに来てから53日が経ち、いちおう、喜望峰までたどり着いた。

本当に、なぜぼくがアフリカに来て、喜望峰までたどり着いたのか。

それは、飛行機と、電車と、バスと、車と、ノリに乗ってきたから。その結果である。