ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

洋館、自分が思うこと、Python

これはヨーロッパの洋館か?

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というか、「ヨーロッパ」の「洋」館って、頭痛が痛いみたいなもんですか。

それはさておき、これは洋館です。

紀尾井町にある、赤坂クラシックハウスという建物なんですね。

昨日はここに行ってました。そして、とあるパーティーの打ち合わせに出てきました。

僕はボランティア参戦なんですが、主催者の手伝いみたいな感じでやらせていただく感じです。ありがてぇ、、。、

 

一瞬、ケニアの特命大使に挨拶ができた。僕のことを聞いていたみたいです。

ケニアのオフィスなんて行けたらいいなぁ。

 

来月と半分経ったら、この混みこみな電車ともしばらくおさらばかと思うと、本当に微かな寂しさを一瞬、覚えかけますが、結果は、覚えません。

 

1ヶ月半後、もとい去年から、(来年の4月下旬はなにやってるんだろうか...)と考えるようになって以降、今から数えて1ヶ月後、自分が何をしているのか想像もつかず、そしてその分自分に期待が増すようになりました。それが原動力となって、動こうとする力も増してきているように思います。

来年なんて、自分が何をしているのか想像ができない。やおら、したくもない。

おそらく、自分が思い描いた、理想とする自分の未来(教える人≒教員)は実現できます。

 

でも、そこにたどり着く前に、ふと考えてみたら、どうだろうか?

僕はどこか避けようとしている。

それよりも、目星をつけていたお店に入ってアイテムをつかみながら、対面にあるお店の、他の格好をしたマネキンを指をくわえて見ている状況。

”避けようとしている“というとネガティブな意味も孕んでくるのであれですが、事実避けようともしている。

 

僕は教員におそらく命を懸けられます。

でも、それと同じくらい、いま、自分の

「なんでもする/したい、どこにでもいきたい」ということにも命を懸けられる。

同率1位ながら、得失点差(ここでいうなら希少性?)で「なんでもする/したい、どこにでもいきたい」という欲求が勝っているのかな、と思います。

純化すれば、「色々経験したい」んですね。ぼくは。

困ったもんだわい。。。

同じところに終身雇用っていう生き方は、もう他の人にお任せですね。

 

そういえば、最近「Python」に手を出すことになりました。

いい経験になることは間違いなしでしょう。が、必要となったのでやることになったというモチベーションくらいでやった方が、気付いた時に「あれ、俺けっこう出来てる部類に入ってたのか。」となるかもなので、あまり気張らずにやっていきます。

本も借りてしまい、なんだか久々に(いや、そうでもない)勉強のための教科書って感じで、ちょっと新鮮。(いや、そうでもない)

 

なんか、ひとつわかったことがあります。

自分の意志で自分の踏み込んだことのない領域に行くことが出来る人はすごい。

でも、自分の意志だけだとなかなかうまくいきません。「誰かが必要としているから」というエッセンスがあれば、新たにやることも爆発的に進められるようになると思います。

ある人がものごとに手を出して、ある人あるいは指示した人が望む水準まで比較的スムーズに達するには、どういうシナリオを進めばよいのか、いま、身をもって、体験しつつ、考えています。

 

アフリカでも実践したい心がけですわ。