ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ68日目〜タンザニア編12〜

今日はビッグな日になった。

 

何かが起きたか、というと、実はそうではない。

 

では、何があったのか。

 

2つある。

 

1つ目は「今日で7月になっ(てしまっ)た」ということ。

 

2つ目は「明日からキリマンジャロに登る」こと。

 

もう、いまぼくの周りで起きていること全てが非現実的なものすぎて、明日(なんなら半日後)にはキリマンジャロに登るということに気持ちが追いつかないほど、心中カオスな状況に陥っているのである。

 

まず、7月。

ぼくは先先々月にアフリカに来たのだ。これはことばや文字にする以上に遠い遠い遠い遠い昔のようだ。それがしかも先先々月のアフリカとなればもうとてつもなくはるか遠くだ。

しかし、記憶がある。ぼくは先先々月からアフリカにいたのだ。だから、記憶にリアリティがある。でもとても遠くにある。夢を見ているような気分になるのだ。まるで自分の空想だったかのような錯覚に陥る。でも、現実だ。

ぼくはたしかにエチオピアで下痢に苦しんだ。ぼくはたしかにソマリランドハルゲイサからジブチ国境に行くまでの約16時間のデコボコ道を移動した。ぼくはたしかにジブチラマダンによる街の静けさとうだるような暑さを感じた。ぼくはたしかにマラウイマラウイ湖畔で素晴らしい月と太陽の光を見た。ぼくはたしかにモザンビークで40時間のバスに乗って2000km以上移動した。ぼくはたしかにエスワティニで国境からの本当に美しい田園地帯を一望した。ぼくはたしかに南アフリカで大都市と大自然を目の当たりにした。そして、いま、ぼくはたしかにタンザニアにいて、明日からキリマンジャロに向かおうとしている。本当に。

7月であることがこんなにもぼくの心を非日常的にするなんて。

それくらい、今年の7月は去年からのぼくにとって「非現実的な月」だったのだ。とっても遠い存在だった。この7月を迎えるまでに、とてつもなく大きな経験をする必要があったから。ともすれば壁とも試練ともなりうる出来事が、7月の前にいくつも立ちはだかっていたから。

しかし、いま7月を迎えた。

別にただ時間が過ぎるのを待つのみだし、黙っていても7月はどうやってもやってくる。

でも、今年の7月だけはどうしても違ったのだ。ただ7月を迎えるだけなのにこの達成感のようなむなしさのような、RPGの終盤のような儚さを感じるのは。なぜだろうか。

ぼくにとって今年の「4月」「5月」「6月」「7月」は、単に時間軸をあらわすことばではなく、旅の進み具合に直結することばであり、「7月」を言うことすなわち旅の「終焉」を迎える意味合いを持っていたのである。

 

そして、今日1ヶ月以上ぶりに友人に合流したことも、ぼくにとって「時がたしかに経った」ことをあらわす証左である。ヨハネスブルグで別れたのが5月の話。言ってしまえば先々月の話になる。なんという時間の経ち具合だろう。

 

そして、この状況のなかで「明日から」キリマンジャロに登るということが全く現実味を帯びていないのである。

あいにく、残っている支払いの手続きをとろうとしたところ、カードが使えなかった。カードの認証がどうやら国内の銀行で必要だったみたいで、それをやっていなかったっぽく、結局、明日の朝に銀行で現金を引き出してそれをツアー会社のプリペイドカードに入れて、それで支払いを行う予定だ。このギリギリまで確定したといえない状況も、よりキリマンジャロに対する気持ちの入らなさを助長している。

装備も整えたし、友人とも合流した。時も来た。支払いも明日の朝に終わらせる。それをやったら、すぐに登山開始なのだ。あぁ、信じられない。

 

本当に信じられない。

 

予定通りにいけば、ぼくは4日後(ほぼ3日後)、キリマンジャロ頂上にいるのだ。アフリカの最高峰にいる。なまじ信じられる話ではない。しかし、着実に近づいている。

ツアー会社には、過去の使用者のノートブックが遺されている。20年前のノートもあり、そこにも日本人による文章がずらりと並んでいた。彼ら彼女らの筆跡を追うたびに、そして写真を眺めるたびに、気持ちに身が入るが、しかし同時に非現実的な感覚も強くなった。次はぼくがやるのか。これから登るのか。

 

今はもう22時前だ。そろそろ寝ようかと思う時間だ。

今もまだキリマンジャロに実感を抱けてはいない。まだ支払いというプロセスがクリアできていないから、それをクリアしないと登られないというのもあるのだろう。しかしそれが終わると同時に、登山がすぐにはじまる。

あぁ、気持ちの整理が、、、という時間がないのだ。

 

キリマンジャロがぼくにとっての「何」になるのかはわからないが、「何か」にはなるだろう。

もう高山病薬のダイアモックスも買った。ちなみにタンザニアなら250円くらいで買える。日本なら10倍以上の値段になるだろう。

 

よく、メダリストや優勝者が「まだ実感がない」という。

キリマンジャロは登頂していないが、7月を迎えた、という点で言えばぼくは「まだ実感がない」。これは、あまりにも強く「7月」を迎えることを意識した結果だからなのかもしれない。優勝者やメダリストは、優勝することやメダルを取ること強く強く意識する。ぼくの7月なんかとは比にならないくらい、人生を賭けて意識する。その願いが果たされた時、今までに蓄積していたとてつもないパワーをぶつけていた対象が突然消えたかのように、そのパワーが肩透かしをくらったかたちになる。

それでむしろ戸惑ってしまうのだ。

「え、7月、本当に来ちゃったの?」と。

つまるところ、ぼくは強く「7月」を迎えたい意識を持っていたと同時に、「7月」を迎えることを望んでいなかった、あるいは、本当は「7月」なんて来ることがないと思っていたふしがあったのかもしれない。(もちろんb時間が経つのは必然なので、絶対に来るのだが)

本当のところはわからないが、もしかしたら、彼らもあまりに強く「優勝」や「メダル」を意識しすぎていざそれ得た時に、嬉しさよりも「なんで本当に来たんだ?」という戸惑いや疑いが生じるのかもしれない。

 

となれば、明日になればこのぼくの実感のなさは少しまぎれるだろうか。

 

いやいや、明日からキリマンジャロに登るのである。

さらに非・現実味が増してしまうではないか!

 

もう、とにもかくにもぼくは寝ようと思う。

もはや今の感情は、これまでの人生の経験におけるなにものにも当てはまらない、「はじめて」の感情だ。

25年生きてきた今、まったくはじめて感じる気持ちの真っ只中にいる。

 

なんということだろう!

これまで生きてきた経験から物語れない、全く形容できない感情のすばらしさたるや!

ただわかるのは、、、

この感情は、ぼくにとって価値のあるものだ。

 

 

明日からしばらくブログの更新は止まります。

キリマンジャロから帰ってきた日に、更新を再開します。

アフリカ67日目〜タンザニア編11〜

あぁ、ついに今日を含めてあと10日。

そして、今日は6月最終日。4月の下旬からアフリカに渡り、気づけば日本に帰らずして5月、6月をまるまるアフリカで過ごしてしまった。きつい行程もあったが、というかきつい行程ばかりだったが笑、気づけば、、、である。

7月はチャレンジだ。やることはひとつ。そう、アフリカ最高峰のキリマンジャロだ。


明日には、いまヨーロッパにいる友人と再び合流する。そして明後日、ついに出発だ。明後日出発である!文字に起こした途端、どきっとした。もう明後日の話である。再来月や来月の話ではない。正直、あまり実感がない。どきどきしている。目の前に待ち焦がれたキリマンジャロがあるのだ。高山病などのリスクにも目がいくが、それ以上にどうなるのか、飛び込んでみたいという単純な好奇心が勝つ。ここまで来て、まるで1日目のような新鮮味と緊張感が再来する。普段味わうことのない感覚だ。

 

まあそれはいいとして、今日はまずルームメイトと近くのローカルマーケットへ。活気にあふれる市場のような感じで、実にいろんなものが売っている。

今日はそのまま街とは逆方向にある田舎町の方へ。フランス人ルームメイトの考えで行くことになった。なんでも彼、明日から1ヶ月間モシでNGO的な活動をするらしい。すごい。

その下見的な意味も込めて、ラウフォレストという森林ゾーンに行くことになった。

そして、そのラウフォレストのツアーがある家にたどり着いたのだが、なんと今日はお休み。家の主人が出迎えてくれたが、ダメらしい。残念。

しかし、そこには主人に加えて3人のフランス人が。トゥールーズの大学生で、6週間のインターンシップに来ているのだという。さぞよい体験をしていることだろう。

結局、今日もこれにてやること終了になった。

ちなみに、道中でムシカキを食べた。

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やっぱり迫力がある。うまさも2割増しだ。

 

そのあとはホテルに帰り、しばらく休憩。どうせなのでと、この前歩いたよき散歩道をもう一度歩くことにした。

ちょっとキリマンジャロの練習的な意味も込めて、ペースを乱さずに、歩くことを心がけて。ゆっくりと歩きつつ、水を飲みながら。それにしても、なんという天気だろう。キリマンジャロはいつにもまして美しい。素敵な午後を過ごせたと思う。
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夕方だろうが日没だろうが、価値がある景色をいつでも見られるモシはちょっと長い滞在にも向いているかもしれない。あえてバックパッカー宿に1ヶ月間ほどいるのもありだ。現地人ともコミュニケーションできれば、観光客とも付かず離れずのコミュニケーションが取られる。

まあ、次回にしよう。

 

結局2時間ほど歩き続けた。不思議と脚は疲れなかった。ペースの一定性と、基本的に同じ歩幅でゆっくりと歩くことがスタミナの温存につながったのだろうか。しかし、かなり奥まったところまで歩いていったもので、ほぼ真っ暗ななかをしばらく歩いて帰った。

途中からバイクタクシーことピキピキに乗って帰ったが、まあ気持ちよかった。あれに乗るためにあえてどこかまで歩いていって、ピキピキで帰るというのもひとつの観光になるかもしれない。バイク観光はちょっとよいかもしれないな。

 

で、一瞬でホテルへ戻った後は、お腹も空いていたので外をふらつくことに。

しかし目につくのはやはりムシカキ。焼き牛である。そしてポテト。あぁ、魅惑的だ。

ということで結局ムシカキ4本とポテトを購入。4500シリング。

その後は、何度か行っているシュクランカフェ(シュクランはアラビックのありがとう)でチョコレートミルクシェイクをテイクアウト。これが5000シリング。シュクランカフェはソマリア人らが経営していて、みんなかなり親切である。

で、そこに小さなスキンヘッドおっちゃんがスタッフとして常駐しているのだが、そのおっちゃん、今日はアメリカ国旗のネクタイをしていた。それがとても可愛かった。

で、おもしろかったのは帰り際、レジカウンターにいたにいちゃんが「帰り際にはこうするんだよ」といってそのアメリカネクタイミニスキンヘッドおっちゃんの頭をバチンと叩いた。あの、去年のM1グランプリに出たトムブラウンのツッコミ方みたいな、手で頭をつかむような感じの叩き方。

それで「おまえもやってみろ!笑」というものの、「いやいや失礼だよ」と言ってたら手をつかまれてそのまま頭にバチーン。おっちゃんも終始爆笑していたので、まあおもしろければよかったか、という感じで「また明日!」と言い残し、お店を去った。

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にしてもこの景色はキリマンジャロ並みに美しい。また別の角度で魅惑的だ。

 

今日も快晴だった。そしてかなり暑かった。

明後日(ほぼ、明日だ!)からしばらくはよい天気に恵まれてほしい。心からそう願う。

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この空のように。

アフリカ66日目〜タンザニア編⑩〜

今日は、観光らしいことをした1日になった。

 

今朝、同じ部屋の観光客らと一緒に観光地の「Kikuletwa Hotsprings」に行くことになった。

ホテルからは20kmほどあるので確実にアシが必要になる。

モシのバスステーションに行った途端、関取の稽古の如くタクシードライバーがやって来る。で、結局そのうちのひとりにホットスプリングスまでの行程を任せることに。

そんなに遠くないだろうとタカをくくっていたのだが、これが大誤算!(ゴチ風に)

まあ実際は1時間くらいだったのだが、そのうちの40分が砂の道だったのだ。要は、デコボコ。砂煙もあがる。

一見平坦でも、車に乗っていると全然違う。もうガシャガシャだ。

、、、この感じ、久しぶりである。

記憶のどこかで、そして身体が、「ソマリランドからジブチへの道のり」を思い出していた。最強のデコボコ道。メトロノームくらい揺れ続けた15時間30分。それに比べればなんてことないが、あくまで比べたら、である。今、この瞬間、ぼくはきつい。

もう正直、未舗装道路は一律走りたくない欲がある。

デコボコ道はこりごりである。吐きそうな衝動に駆られる。これらの体験は強烈で、ぼくを車嫌いにさせている。

そんな感じで「うぅ〜、、、」となりながらもようやく到着。

ちなみにタクシー代は往復で65000シリング。3人で割ったので、まあ、って感じだがそれでもミニバスなどに比べれば高い。しょうがない。

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で、着いたのがこんなところ。

ホットスプリングスというが、別に温泉のようなアツアツのお湯ではない。

常温より少しあたたかいくらいのプールという感じで、泳いでいるとあたたかく感じるくらいである。

ターザンロープみたいなのもあり、一発目にそれを使って飛び込んだら思った以上に深く、あと、水に入るのが久しぶりだったため溺れかけた。危なかった。

そのあとは背泳ぎの状態でプカプカと、仰向けで平泳ぎっぽい感じで優雅に泳いだ。いやぁたのしかった。しかし疲れた。幸い筋肉痛はない。やっぱり水泳は身体のリハビリにはもってこいかもしれない。

 

昼は卵とじポテト。うまかった。こういうジャンキーなのがよい。

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犬もいた。しかし、完全に人間に怯えている様子で、いたたまれなくなってしまった。

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で、16時ごろまで遊んで疲れたので、帰ることに。

17時過ぎにホテルに到着。それとほぼ同時に、しばらく一緒にいたアメリカ人ルームメイトがアルーシャ(モシから70kmほどの隣街)に行くということで、お別れをした。またモシに戻ってくるとのことだが、たぶん時期的にぼくはキリマンジャロにいる。

 

しばらくしたあと、新たに昨日からルームメイトになったフランス人が「夕日を見たい」というので、夕日を見に行った。
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モシからはキリマンジャロが近いが、肝心なのは「毎日キリマンジャロ全景が見られるわけではない」ということだ。

富士山でも同様だろう。

「あぁ〜今日はくもりだわ」なんてことはよくあるはずだ。キリマンジャロならばなおさら。

ここまで綺麗に見えたのは、モシに来て10日目で初めてだ。

 

 

今この記事を書いているのはすでにこの日の翌日(つまり、また書いている途中に寝てしまって翌朝になってしまった)なのだが、今日もよく見える。

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朝日とともに見る雲ひとつないキリマンジャロは最高だ。

これはぼくの泊まっているホテルからの景色。これで1泊500円ちょっとだと思うと、、、感激である。

 

さあ、もう終盤だ。

ちょっと、モシの居心地がいいと思っている。

アフリカ65日目〜タンザニア編⑨〜

キリマンジャロへの登山を控え、なんとなく歩きたくなったので今日は歩くことにした。

 

ホテルを左に出るとずっと一本道が続く。とりあえずそこを歩いていくことにした。にしても、やはりタンザニアは昼間雲のない晴れ間だとかなり暑い。それもそうだ。赤道直下だ。

その中を歩くことは結構きついのだ。たとえ、荷物を全く持たず水だけを持っている状態であっても。

まあ、ひとつ違うのは、こんなに人も車も喧騒もキリマンジャロにはないということだろうか。

 

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途中にはこんなものも見つけた。

ちょっと、前に立って記念撮影したいくらいのもんである。

アイラブモシ。まあ、結構好きである。


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しばらく歩いていると、こんな道にさしかかった。さっきのモシ中心の喧騒が嘘のように、静かで閑静な場所へと入った。キリマンジャロアベニューというらしい。
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この通りにはタンザニア警察学校もあった。(まじまじ見ていたら門番のにいちゃんが歓迎してくれていろいろ話したが、写真を撮っていいか一応たずねたらダメだった。まあ、しょうがない)

で、そのにいちゃんいわく、この通りには結構政府の役人とかそういう系の、要はタンザニアにおいて「強い人」が住んでいるところらしい。ところどころに家の前に「PHOTOGRAPH PROHIBITED(写真撮影禁止)」という掲示が立っていたりして、そして何より、家が死ぬほどデカかったのである。家の前にタイムズの出入り口みたいなのがあり、きれいなレンジローバーを乗ってるのに家にもレンジローバーがもう1台とさらに車がもう1台あって敷地はスーパー広いみたいな家がごろごろあった。門が超でかいのである。象2頭が並列で入れるくらい広い門。

それに、学校もあった。途中途中で小学生から高校生くらいまでの幅広い世代の生徒を見かけた。印象的だったのは、6〜7歳くらいの小さな子らから「Shikamoo(年長者にするあいさつ)」と言われたこと。(あ、おれ年長者か。敬意を持ったあいさつされてんじゃん)と驚き、嬉しくなり、そしてちゃんと教育を受けている証拠なのだろうなと勝手に合点をいかせたのを覚えている。

まあ実際ちゃんとそういうところもやってるのだろう。

先生が「年長者に会ったらShikamooと言いなさい!」みたいな。

 

結局かなり歩いてヘトヘトになって帰ったところ、ちょうどルームメイトらが「モシ駅に行くがどうだ」と言ってきたので、誘いに乗ることに。

そして行った光景がこれ。

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これが、タンザニア

と思うほどの外国人の数。

モシ駅は、もう使われていない駅だが、今では憩いの地と化していた。飲み物を売っているところもあるし、なんならちょっとした観光地だ。観光客と現地の子どもらが一緒にサッカーのパスをしあったり、わいわい走ったりしていて、大人はイスに座って話に花を咲かせている。すごい盛り上がりようだった。

 

英語でめっちゃ話していたので、さすがにネイティブの英語にはついていけずひとりでぼーっとしていた。それはそれでいいくらい、景色も良かった。
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帰りにルームメイト+他の外国人で前にも行ったインディアン料理的なレストランへ。ぼくはエッグフライドライスと牛のムシカキ(焼き鳥ならぬ焼き牛的なやつ)を頼んだのだが、ムシカキがあまりにも想像と違った(デカめの肉が棒に刺さった状態で出てくると思った)ので、ぼくもルームメイトもめちゃ笑っていた。味はうまかったので、よしとしよう(笑)

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帰りしな、こんなバスも見つけた。

あぁ、、、まさかのアフリカ2回目の「金正恩」的状況。

ちなみに1回目はソマリランドで現地人から「キムジョンウン!」と言われたときだ。「チャイナ!」や「ニーハオ」は死ぬほど言われたが、「キムジョンウン」と言われたのはソマリランドだけである。

 

にしても、、、双眼鏡見ながらニッコニコの金正恩タンザニアで見るとは。

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ちょっと暗いが、夜の中を歩いていてかすかに見える金正恩

そして、全くわからない状態からぼんやりとした状態に変わり、そして一歩ずつ進むごとにはっきりとしていく過程は、たとえそれが金正恩の描かれたバスであっても嬉しくてワクワクして心躍るものだった。

キリマンジャロの事前学習になったかもしれない。

 

アフリカでは自転車、バイク、車、バスの他に「三輪タクシー」を使う選択肢がある。東南アジアやインドでもメジャーなやつだ。

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これ。

 

車は維持費もかかるし、なんというか自分で持つのはめんどくさい。なにより、日本での移動を考えた時、車をわざわざ使う機会は現状ないのだ。自転車、電車、徒歩があれば結構事足りてしまう。

だが、その中で最近はバイクや三輪車に少し興味が湧いている。バイクといっても原付程度でよくて、それくらいなら高くつかない。三輪車を街中で乗れたら、たぶん一定の人(海外で乗ったことのある人)は瞬間的に食いつくだろう(笑)

 

 

さあ、もう少しで旅も終わりだ!

アフリカ64日目〜タンザニア編⑧〜

今朝から昼過ぎくらいまで雨が降っていたせいで、昨日から予定していたお出かけはおじゃんになった。

 

幸い、昼過ぎからは雨もやんだので外に出られた。

 

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昨日も食べたスーパーうまいチャパティ。クレープ生地の甘いやつ。
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先日も食べたスーパーうまいザンジバルピザ。
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初めてみた開新高等学校のバス。おいおい、タンザニアのガソリンスタンドで給油してるぜ。熊本の高校らしい。(笑)

 

 

で、今日は同じ部屋の人らと一緒に結構過ごした。で、夜ご飯も共にした。(少し割高だなあと思ったのは内緒にしておこう)

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うまかったやつ。

 

さて、今日の行動報告はこれくらいにして。。。

 

今日はちょっと、ぼくの心境や、去就について書くことにする。

キリマンジャロ登山までついについにあと1週間ほどとなった。昨年もアフリカに行こう的なキャンペーン以来、叫ばれ、そして自分でもなんとなく考え続けてきたキリマンジャロ登山が、静かに、でも確実に、近づき、そして今、目前に迫ってきている。物理的にも、時間的にも。

「山に登る」という行動が人間にとって少なくとも意味のない行動ではないことは、ぼくが感じている漠然とした「緊張・恐怖・不安」のようなぞわぞわとした感覚が示してくれている。たぶん、人間にDNAレベルで刷り込まれている(であろう)「未知への好奇心」が、キリマンジャロ、ひいては山、に登ることを価値あるものとして認識させているのだろう。

 

はあ、とにかく、来週からキリマンジャロに登るのだ。

ずっとずっと静かにあたためられてきた、まるで深成岩になるプロセスのようにゆっくりゆっくり(スワヒリ語でポレポレという。登山中は常にポレポレであるべきなのだ)と、しかし確実に、日を追うごとに行くことを堅固たるものにしてきたキリマンジャロ登山が、もう目の前にあるのだ。

変な話、もう後戻りはできない。自然の猛威による中断とぼくの死の危険を除いては。

 

しかし、ぼくはここに、ひとつの「投影」をすることにした。

 

ぼくは元来、山登りなんかしたことがない。今回のアフリカ旅行でテーブルマウンテンやライオンズヘッドに登ったのが初めてである。まあ、はやい話が山登り未経験者である。それがキリマンジャロを登るとなったら、きっと精神的に強靭な下支えがなければ登るのは難しい。ノリだけで登ろうと思えば、きっと登っている最中に「あーもうなんかめんどいわ。辛いし。かえりてー」といった感じで「ネガティブな感情」が出てくるはずだ。

だからこそ、ぼくは「投影」をすることにしたのである。

 

ぼくは、今、教員を目指している。

現実的に目指しはじめたのは3年前。でも、いつ、教員になるという思いが生まれたのかはわからない。大学生になったとき、いや、もしかしたらもっと前の段階でだったのかもしれない、明確な時期はわからない。

でも、とにかく、ぼくは今、教員を目指しているのだ。

そして、今さっきとある学校に応募してみようと決心し、仲介サイトを通して応募通知を送った。

ついに、「次のステップ」に向けて脚を上げはじめたのだ。むろん、もう後戻りはできない。こんな言い方はぼく自身あまり好きではない(なんだかネガティブなので)のだが、不思議と、教員になることを考えたときのぼくの心境は、漠然とした「緊張・恐怖・不安」に苛まれていないのだ。それよりも、ずっとずっと大きな「ワクワクした感じ・よっしゃやったるぞ感」が存在しているのである。もしかしたら、ぼくは教員になることに使命感と自信を持っているのかもしれない。

アフリカ旅行中も、ふと自分が教員として働いているときの想像をするのだが、不思議と「働いている」という感覚にはならない。やりがい搾取とかの話はおいといて。実際、教育実習中はストレスを感じなかった。(理不尽な怒られ方、というか子どものように感情的にキレられたときは思わずはっ倒しそうになったが(笑))

そんなのも相まって、ぼくは教員になることにひとつの疑念もない。

でも、ただ、「人生における次のステップに移行する段階の過渡期における躊躇」がぼくをしばしば苛ませるのである。

 

それが、いまだ。

 

教員免許取得に必要な単位はほぼ取り終え、8月に講義を受けて終わりの科目がひとつだけ残っているが、それを終えれば晴れて免許取得に向けて動き出す。今年には教員免許が取られる予定だ。

ということはつまり、学校探しの期間もいま、ということになる。

この「免許取得中」から「免許取得後」、そして「勤務中」に向けての過渡期におけるどこか踏み出しきれない躊躇が、いまぼくを席巻しているのである。

やれば楽しいのに、バンジージャンプは怖い。したことはないが。やれば楽しいのに、スカイダイビングも怖い。したことはないが。大当たり券を引き換える直前、躊躇う。どれだけOKだとわかっていても、プロポーズをする前の男性は言い出すのを躊躇うはずだ。いくら自信があっても、いくら次のステップに行きたくても、いざ目の前に来て「さあ、あとは自分が動くだけ」となったとき、躊躇ってしまう。「これまでの状況がなくなってしまうのではないか」と心配もしてしまうからだろう。なぜか、振り返ってしまうのだ。今までの足跡が、愛おしく思えてしまう。

ぼくは少し怖い。このまま教員になることが。なれるかわからない、という不安はない。ぼくは教員になれるはずだ。そう信じている。だが、それでも次のステップに進むのは、勇気と力がいる。

 

アンパンマンあたりの介添がほしい。

でも、アンパンマンはいない。あんぱんを包んだまんとうならあんぱんまんを作れるが、アンパンマンはいない。ジャムさんはどこかの国にいるかもしれないが、ヒゲを生やした白髪のおじさんとは限らない。したがって、ジャムおばさんかもしれない。でも、仮にジャムおじさんがいたとして、その人があんぱんまんを作っている確率など天文学的な確率だ。

 

だからぼくは、キリマンジャロを介添人もとい介添山にすることにした。そして、ぼくの、教員になるという次なるステップに進むにあたって躊躇っているこの感情を、キリマンジャロという山に「投影」することにしたのだ。

 

つまり、「キリマンジャロ登頂」は、ぼくにとっての「教員になるまでの道」に終止符を打ち、そして、「教員になる」という新たなステップに進むはじまりとしてぼくの前にそびえ立つことになったのだ。

なるほど、そうするとぼくにとってのキリマンジャロは、人生が懸かった存在となるわけだ。

挑む価値が、ようやく出てきたという感じである。

 

 

まあとにかく、キリマンジャロはぼくにとっての将来の試金石であり、教員になるための後押しとなる存在であるということだ。

こういうことは普段は心のなかにしまっている。そして、誰もいない環境で、そのクローゼットを開けてはひとりでにやにやして悦に浸る。いわば「美学」なわけだが、今回は少し大っぴらにした。

きっと、山に登ったりなにかに挑戦する人は、ただそれを達成したいというだけでなく、なにか自分の人生における大切なものや目標を投影しているかもしれない。誰にも言っていないだけで。

「あの人のために頑張るんだ」

「これを越えれば、ぼくの夢が叶う」

といったように。

 

アフリカに来て以来、ずっと「目的を持たずに」過ごしてきた。

いまようやくわかってきたのは、「目的を持つこと」が時として人の推進力になることである。

それも、身体中がみなぎって、力が湧き上がってくるような、芯からの推進力。

 

目的があれば、それがどんなに自分にしかわからないような美学的なものであっても、キリマンジャロですら登れるかもしれない、そう思えるのだ。

 

ぼくはこれから教員をやるんだと思う。

どんなかたちであれ、教育の方向にいるんだと思う。

ちょっとオカルト的なことだが、今回のアフリカ旅行は、ぼくが教員になることを望んだからかもしれないと考えることもできる。バタフライエフェクトが如く、ぼくがあのとき教育に携わろうと思って会社を辞めたから日比谷公園でのアフリカイベントまで日にちがつながり、チケット獲得にこぎつけた、みたいな想像は簡単にできる。

この一連の経験は、ぼくが教員になるうえでのひとつの試練と考えることはなんだか自分だけを中心に据えた考えであまり好きにはなれないし、ちょっとスピリチュアルくさい感じというか「お涙頂戴のシンデレラストーリー」的な感じでおめでたい発想な感じがするのだが、でも、どこか心の中では「ぼくが特別だからだ」という自己承認欲求の塊になっている自分もいるのだ。

これからも、両者には常にせめぎ合ってもらうことが健全な精神を維持していくうえで必要なことだとは思うので、そのままにしておくことにする。

 

とにかく、キリマンジャロ登山、そしてそのあとの教員への道、そして夢が叶う瞬間に行くまで、しるべが見えた。

 

「楽しみ」

 

である。

アフリカ63日目〜タンザニア編⑦〜

けさは朝食を食べるために起きた。

朝食を食べる予定がなければ、起きなかった。というわけではないが。

 

朝8時に朝食を食べに出かけるために起きて準備をするのはよいことだ。

まだ少し眠く、身体も突然横から縦になって臓器らは違和感を覚えているようだ。

数日前から一緒にいる日本人に会いに、歩いて数分ほどのホテルへ。

日本人と、もうひとりの日本人タンザニア協力隊員と合流して、目的のレストランへ。

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うまいスープとうまい肉。あと、スーパーうまいチャパティチャパティとはいうが、完全にうまいクレープ生地だった。めっちゃうまかった。これで数千シリングだった。まあ、100円か200円くらいだった。

 

そのあとはちょっとお土産屋によるついでに本屋へ。
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タンザニアの生徒向けに教科書や本が普通に売っており、ある意味お土産に適していた。

ちょっとこの歴史の本は買おうか迷っている。


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思うに、ペプシの広告が貼ってあるようなところは鼻くそがよくできるという疑似相関が生まれつつある。つまり、ペプシくらいしか貼ることのできる広告がないような場所で、砂ぼこりや車の排気ガスが結構出るところなのだ。よって鼻くそもよくできてしまう。残念ながら。まあ、しょうもない思いつきなので。

 

その後も話していたら昼になったので、日本人おすすめのレストランでバターチキンカレー的なやつを食べた。うまかったです。ナアンもうまかったです。しっかりとしょうがの効いたチャイも入れて、13000シリングほど。まあ、600円くらいだ。
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タンザニア協力隊員が今日で一時帰国をするということだったので(なんと1年ぶり)、一緒に空港まで3人で行くことに。ドライバーさんがいたので、一緒に乗っていたら子連れのお母さんも来た。どうやら日本人の泊まるホテルあたりで働いているらしく、顔見知りらしい。で、一緒に乗って途中下車していった。

そしてキリマンジャロ空港まで行った後は、そのまま別れ、ぼくと日本人の2人でモシへ戻った。

 

気づけば19時も過ぎ、あたりは真っ暗。

お腹も空いていたので、近くの屋台へ。

ここではまあうまそうな焼き鳥、、、ではなく、これは焼き牛。ムシカキというやつ。1本500シリング。右にある赤っぽいやつがチキンだ。
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そしてこのポテト。これはポテトを卵でとじつつあるもの。最終的には両面を焼いて、ひとつの面にする。

まだ食べていないが、絶対にうまい。

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ちなみにふつうのフライドポテトも500シリング。

お腹いっぱい食べても4000シリングくらいでおさまってしまうのだ。だいたい200円くらい。なんという。。。

 

これをテイクアウトして日本人のホテルに行って食べた。

テイクアウト代が500シリングなのだが、店のにいちゃんが忘れていたみたいで食べもの代を払った後、申し訳なさそうに言ってきたのが印象的だった。500シリングって、20円くらいだ。

 

そしてホテルでコーラを買って、いざ実食。好感触。即完食。

マジでうまい。

タンザニア、モシ、いいかもしれない。

 

 

とりあえず、モシに来て1週間経つが、飽きそうになったところで新しいことが出てくる。

現状はひとり旅をしている格好になるが、現地で友達っぽい関係の人を作ることが少しずつできてきた。現地人しかり、同じ部屋になった観光客しかり。

 

明日は、同じ部屋になったアメリカ人らと一緒にどこかに行くっぽい。泳ぎに行く?らしいが、あまり情報はわからない。

にしても、もう帰国まで2週間を切った。

再来週には日本だ。

 

はやすぎる。

アフリカ62日目〜タンザニア編⑥〜

これまでずっと8人部屋のドミトリーを自分ひとりだけで使っていたのだが、昨晩ようやく旅行者がやってきた。カナダにほどちかいアメリカのどこかからやってきた女性だ。

そして今朝、起きたら2人増えていた。カップルだった。久しぶりに、寝ぼけているのかと思ったが、たしかに実体としてそのカップルはぼくの目の前で寝ていた。

と思えば、少し朝を過ぎたらもういなくなっていた。あれは幻覚だったのかもしれない。(彼らがホテルから出ていくところはちゃんと見ていたので、もちろん幻覚のはずはない)

 


今日もお昼から日本人と一緒に昼飯を食べることに。しかも、タンザニアで協力隊をやっている女性も加わって3名で行くことに。

 


行ったのはガチのローカル食堂。

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このジュース、アボカドとマンゴーとパッションフルーツを混ぜたものだ。重量感のあるジュースで、めちゃくちゃうまい。これが1000シリング。50円くらいだ。

 

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そのあとは、カレー風味の魚とご飯を。これもめちゃくちゃうまい。ローカル食堂ならではの、予想を超えるうまさ。めっちゃうまい。これで4000シリング。全部で250円くらいだ。

 

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めしを狙うねこもいた。

 

昼飯のあとは、そろそろ定番になりつつあるユニオンカフェでコーヒー。

今日はカフェラテにした。いやぁ、うまい。これが4000シリング。

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そして、なぜかわからないがアルジェリア人らと写真を撮った。

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彼らの他にも何人もめちゃくちゃ人相の悪い感じの、よく言えばカッコよくて男くさくて映画に出てくるような雰囲気を醸し出す男らがカフェ付近に群がっていた。半袖のスーツにタバコというスーパーおしゃれな感じのちょいワルオヤジや白い口ひげをたくわえた、大きめのメガネのスーツ老人などが一堂に会してミーティングをしていた光景は、頭から焼きついて離れない。

 

そこでまた3時間ほど過ごしたが、今日はじめてモシにて雨を確認。

コーヒー屋を出てからは、今はもう使われていないモシ駅へ。

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犬もじゃれるほどのんびりしたところだ。


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ぼくだ。


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いぬだ。


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いぬだ。


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ヤギだ。双子妊娠だ。

 

モシはのほほんとしていてよい。

まあ、物売りとかそういうのもいるアフリカであることは大前提だ。

モシ駅でを少し歩いたあとは、道ばたで500シリングで売っている「ウジ」という栄養ドリンク的なやつを飲んだ。

穀物の粉をココナッツとかと混ぜてトロトロにした栄養価の高そうな温かい飲み物。結構腹にたまった。

最後に、協力隊と日本人が携帯の通信量を追加しておきたいということでストリートの露店へ。ただ、ここでも問題は起き、協力隊の方の通信量追加は難なくいったのだが、もうひとりの日本人の方の通信量追加の際に、間違えて「WhatsAppとInstagramだけ使えるやつ」を買っちゃったらしいのだ。字面で見ると結構面白いが、そういうミスも起きるのがアフリカである。

とはいえWhatsAppは海外じゃ普通に使われているので、さほど困るわけでもない代物だったのが幸いだ。

時間は20時ごろ。はやいものである。

で、彼らとはまた明日、うまい朝飯を食べる約束をして別れた。

 

部屋に戻ると、今朝カップルが寝ていたベッドに新たな男性が。昨日の夜に来たアメリカ人の女性と話していた。彼もアメリカ人とのことだ。アメリカ人同士の英語はやっぱりめちゃはやい。まあ、頑張ってついていきつつ、適度に聞き流しつつ、23時近くまで話した。

 

最後に、歯磨きをしていたらドイツ人男性に話しかけられ歯磨き後に少し話した。中国人パートナーがいた。8ヶ月もアフリカにおり、結果として9ヶ月いるらしい。そのあとはヨーロッパに行くらしく、旅人だった。あと、タンザニアはナイスなところだが、ただひとつだけ、「キリマンジャロ関係の税(入山料とか宿泊料とか)がかかりすぎる」とタンザニア人にめちゃめちゃ言っていた。まあ、確かにそうである。

 

記事を書く暇がないほど人との会話に充実した1日だった。

おかげで、ベッドに入ってから書き始めたが気づけば朝になってしまった。

今は朝7時30分である。

これから朝飯を食べに、日本人と協力隊が泊まるホテルにお出かけだ。