ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ64日目〜タンザニア編⑧〜

今朝から昼過ぎくらいまで雨が降っていたせいで、昨日から予定していたお出かけはおじゃんになった。

 

幸い、昼過ぎからは雨もやんだので外に出られた。

 

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昨日も食べたスーパーうまいチャパティ。クレープ生地の甘いやつ。
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先日も食べたスーパーうまいザンジバルピザ。
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初めてみた開新高等学校のバス。おいおい、タンザニアのガソリンスタンドで給油してるぜ。熊本の高校らしい。(笑)

 

 

で、今日は同じ部屋の人らと一緒に結構過ごした。で、夜ご飯も共にした。(少し割高だなあと思ったのは内緒にしておこう)

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うまかったやつ。

 

さて、今日の行動報告はこれくらいにして。。。

 

今日はちょっと、ぼくの心境や、去就について書くことにする。

キリマンジャロ登山までついについにあと1週間ほどとなった。昨年もアフリカに行こう的なキャンペーン以来、叫ばれ、そして自分でもなんとなく考え続けてきたキリマンジャロ登山が、静かに、でも確実に、近づき、そして今、目前に迫ってきている。物理的にも、時間的にも。

「山に登る」という行動が人間にとって少なくとも意味のない行動ではないことは、ぼくが感じている漠然とした「緊張・恐怖・不安」のようなぞわぞわとした感覚が示してくれている。たぶん、人間にDNAレベルで刷り込まれている(であろう)「未知への好奇心」が、キリマンジャロ、ひいては山、に登ることを価値あるものとして認識させているのだろう。

 

はあ、とにかく、来週からキリマンジャロに登るのだ。

ずっとずっと静かにあたためられてきた、まるで深成岩になるプロセスのようにゆっくりゆっくり(スワヒリ語でポレポレという。登山中は常にポレポレであるべきなのだ)と、しかし確実に、日を追うごとに行くことを堅固たるものにしてきたキリマンジャロ登山が、もう目の前にあるのだ。

変な話、もう後戻りはできない。自然の猛威による中断とぼくの死の危険を除いては。

 

しかし、ぼくはここに、ひとつの「投影」をすることにした。

 

ぼくは元来、山登りなんかしたことがない。今回のアフリカ旅行でテーブルマウンテンやライオンズヘッドに登ったのが初めてである。まあ、はやい話が山登り未経験者である。それがキリマンジャロを登るとなったら、きっと精神的に強靭な下支えがなければ登るのは難しい。ノリだけで登ろうと思えば、きっと登っている最中に「あーもうなんかめんどいわ。辛いし。かえりてー」といった感じで「ネガティブな感情」が出てくるはずだ。

だからこそ、ぼくは「投影」をすることにしたのである。

 

ぼくは、今、教員を目指している。

現実的に目指しはじめたのは3年前。でも、いつ、教員になるという思いが生まれたのかはわからない。大学生になったとき、いや、もしかしたらもっと前の段階でだったのかもしれない、明確な時期はわからない。

でも、とにかく、ぼくは今、教員を目指しているのだ。

そして、今さっきとある学校に応募してみようと決心し、仲介サイトを通して応募通知を送った。

ついに、「次のステップ」に向けて脚を上げはじめたのだ。むろん、もう後戻りはできない。こんな言い方はぼく自身あまり好きではない(なんだかネガティブなので)のだが、不思議と、教員になることを考えたときのぼくの心境は、漠然とした「緊張・恐怖・不安」に苛まれていないのだ。それよりも、ずっとずっと大きな「ワクワクした感じ・よっしゃやったるぞ感」が存在しているのである。もしかしたら、ぼくは教員になることに使命感と自信を持っているのかもしれない。

アフリカ旅行中も、ふと自分が教員として働いているときの想像をするのだが、不思議と「働いている」という感覚にはならない。やりがい搾取とかの話はおいといて。実際、教育実習中はストレスを感じなかった。(理不尽な怒られ方、というか子どものように感情的にキレられたときは思わずはっ倒しそうになったが(笑))

そんなのも相まって、ぼくは教員になることにひとつの疑念もない。

でも、ただ、「人生における次のステップに移行する段階の過渡期における躊躇」がぼくをしばしば苛ませるのである。

 

それが、いまだ。

 

教員免許取得に必要な単位はほぼ取り終え、8月に講義を受けて終わりの科目がひとつだけ残っているが、それを終えれば晴れて免許取得に向けて動き出す。今年には教員免許が取られる予定だ。

ということはつまり、学校探しの期間もいま、ということになる。

この「免許取得中」から「免許取得後」、そして「勤務中」に向けての過渡期におけるどこか踏み出しきれない躊躇が、いまぼくを席巻しているのである。

やれば楽しいのに、バンジージャンプは怖い。したことはないが。やれば楽しいのに、スカイダイビングも怖い。したことはないが。大当たり券を引き換える直前、躊躇う。どれだけOKだとわかっていても、プロポーズをする前の男性は言い出すのを躊躇うはずだ。いくら自信があっても、いくら次のステップに行きたくても、いざ目の前に来て「さあ、あとは自分が動くだけ」となったとき、躊躇ってしまう。「これまでの状況がなくなってしまうのではないか」と心配もしてしまうからだろう。なぜか、振り返ってしまうのだ。今までの足跡が、愛おしく思えてしまう。

ぼくは少し怖い。このまま教員になることが。なれるかわからない、という不安はない。ぼくは教員になれるはずだ。そう信じている。だが、それでも次のステップに進むのは、勇気と力がいる。

 

アンパンマンあたりの介添がほしい。

でも、アンパンマンはいない。あんぱんを包んだまんとうならあんぱんまんを作れるが、アンパンマンはいない。ジャムさんはどこかの国にいるかもしれないが、ヒゲを生やした白髪のおじさんとは限らない。したがって、ジャムおばさんかもしれない。でも、仮にジャムおじさんがいたとして、その人があんぱんまんを作っている確率など天文学的な確率だ。

 

だからぼくは、キリマンジャロを介添人もとい介添山にすることにした。そして、ぼくの、教員になるという次なるステップに進むにあたって躊躇っているこの感情を、キリマンジャロという山に「投影」することにしたのだ。

 

つまり、「キリマンジャロ登頂」は、ぼくにとっての「教員になるまでの道」に終止符を打ち、そして、「教員になる」という新たなステップに進むはじまりとしてぼくの前にそびえ立つことになったのだ。

なるほど、そうするとぼくにとってのキリマンジャロは、人生が懸かった存在となるわけだ。

挑む価値が、ようやく出てきたという感じである。

 

 

まあとにかく、キリマンジャロはぼくにとっての将来の試金石であり、教員になるための後押しとなる存在であるということだ。

こういうことは普段は心のなかにしまっている。そして、誰もいない環境で、そのクローゼットを開けてはひとりでにやにやして悦に浸る。いわば「美学」なわけだが、今回は少し大っぴらにした。

きっと、山に登ったりなにかに挑戦する人は、ただそれを達成したいというだけでなく、なにか自分の人生における大切なものや目標を投影しているかもしれない。誰にも言っていないだけで。

「あの人のために頑張るんだ」

「これを越えれば、ぼくの夢が叶う」

といったように。

 

アフリカに来て以来、ずっと「目的を持たずに」過ごしてきた。

いまようやくわかってきたのは、「目的を持つこと」が時として人の推進力になることである。

それも、身体中がみなぎって、力が湧き上がってくるような、芯からの推進力。

 

目的があれば、それがどんなに自分にしかわからないような美学的なものであっても、キリマンジャロですら登れるかもしれない、そう思えるのだ。

 

ぼくはこれから教員をやるんだと思う。

どんなかたちであれ、教育の方向にいるんだと思う。

ちょっとオカルト的なことだが、今回のアフリカ旅行は、ぼくが教員になることを望んだからかもしれないと考えることもできる。バタフライエフェクトが如く、ぼくがあのとき教育に携わろうと思って会社を辞めたから日比谷公園でのアフリカイベントまで日にちがつながり、チケット獲得にこぎつけた、みたいな想像は簡単にできる。

この一連の経験は、ぼくが教員になるうえでのひとつの試練と考えることはなんだか自分だけを中心に据えた考えであまり好きにはなれないし、ちょっとスピリチュアルくさい感じというか「お涙頂戴のシンデレラストーリー」的な感じでおめでたい発想な感じがするのだが、でも、どこか心の中では「ぼくが特別だからだ」という自己承認欲求の塊になっている自分もいるのだ。

これからも、両者には常にせめぎ合ってもらうことが健全な精神を維持していくうえで必要なことだとは思うので、そのままにしておくことにする。

 

とにかく、キリマンジャロ登山、そしてそのあとの教員への道、そして夢が叶う瞬間に行くまで、しるべが見えた。

 

「楽しみ」

 

である。