ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ74日目〜タンザニア編13〜

久しぶりに標高が一般的な場所に戻ってきた初夜は、なかなか寝つきが悪かった。いま、朝の7時だが、途中で何度も起きたし、身体が汗をかいていたのを覚えているし、くしゃみも出た。なにより、起きたときに「あ、これは寝てるあいだに冷えたな」という感じの鼻になっているのだ。ちょっと鼻水やくしゃみが出て、詰まってはいないのだがむずむずとする感じ。

こういうのはたいがい昼くらいになるともう忘れてしまっているくらい回復しているので問題はない。

いやはや、キリマンジャロも終えてしまって、ぼくに残っているのは下山時に得たものすごい筋肉痛だけだ。膝やふくらはぎが悲鳴をあげているのがわかる。そりゃあ、5時間で20km近い下りの山道をダーっと降り続ければそうなる。

昨日から、英語圏の母親らとその子どもら合わせた10人ほどのグループが同じホテルに泊まっており、朝から子どもらがピキピキ(バイクタクシー)やトゥクトゥクを数えるのに必死になっている。交通調査だろうか。日曜日の早朝にもかかわらず、15分ほどでその数はすでに100を超えており、タンザニアのパブリックトランスポートがいかに多いのかをまざまざと感じている。

 

今日は、キリマンジャロ前に一度行った本屋で見つけた本を買いに行ったり、ぶらぶら散歩しようかと思っている。

で、筋肉痛でバキバキの身体をなんとか動かして本屋まで行ったところ、休みだった。日曜日だからか。安息日である。

明日の午前中に行こう。

 

今日はずっとだらだらの日である。

もうすることはない。ムシカキを食べることくらいだ。

f:id:daikikono:20190708033514j:image

これがムシカキ。牛肉。1本500シリング。約25円だ。昼にこれを6本食べた。

そこからまたしばらく散歩(という名のリハビリ)をして、少しずつ身体を動かせるようにする。

15時ごろ、ふとキリマンジャロツアーで使ったオフィスに寄ってみたら、登山を終えたばかりの日本人がいた。というのも、実は下山中、ひとりの日本人男性クライマーに出会っており、その人が今日帰って来る予定だったのをうっすら覚えていたのだ。そしたら本当にドンピシャのタイミングでいたので、驚いた。彼も証明書をもらっており、無事に登頂したようだ。

 

夕方ごろにホテルに戻ったところで、ラウンジにいた女性観光客から声をかけられた。どうやらドルとシリングを交換して欲しいらしい。といっても1ドルだったので、問題なく承諾。それをきっかけに、彼女と彼女の友人の3人で話が盛り上がった。スペイン人である。

「そういえば、2週間前くらいにスペイン人の女性がここ泊まっていったよ」と話したら、にわかにそわそわしだした。

「え?もしかしてあの子?」「あの子モシに泊まるって言ってたわよ」みたいな雰囲気だったので、名前とともに写真を見せたら、なんと同一人物だったのだ。彼女らは飛行機で会ったらしい。すごい確率だ。そんな偶然の話も盛り上がりつつ、ぼくがアフリカに来た理由も話しつつ、あっという間に1時間ほどが過ぎた。彼女らは今日が帰国日らしく、運転手を待っているタイミングだった。ちょうど来たみたいで、話を切り上げて別れを告げた。

 

気づけばもう夜に近い。

部屋に戻ると、今日の朝から出かけていた台湾人ルームメイトが戻ってきていた。今日はどうだったのか、みたいな他愛もない話をしていたところで、新たにひとりバックパッカーが。アメリカ人である。アジア系の顔立ちである。そして、お笑いコンビのギャロップの毛利にめちゃくちゃ似ているのである。もう、死ぬほど似ているのである。髪型といい、肌の色の感じといい、顔といい、もうギャロップの毛利なのである。

 

ギャロップ 毛利]で調べてもらってからこの後の記事を読んだ方がよい。

 

時間も時間なので夜飯に行こうかみたいな話になったが、どうやら毛利は腹を壊しているらしい。なので、毛利抜きで台湾人とぼくらで近くのムシカキ屋に行くことに。

そこでも6本食べ、正直もう塩分的にも腹いっぱい。

f:id:daikikono:20190708042837j:image

毛利のように腹を壊してしまいかねない。

 

そんな感じで、もう22時になってしまった!!!

あぁ、もうアフリカの夜が終わってしまう。厳密に言えばまだ明日と明後日の夜はアフリカだが、どちらとも空港で過ごす夜となる。そう考えると、今日はある意味では「アフリカ最後の夜」である。もうおしまいだ。なんとはやいことか。そして、ここまで来たところでなんと「実感がない」という状態になっている。実感がないことは実感しているという、変な状態だ。

 

 

まあ、明日は早めに起きて、まずは本屋に行って目当ての本を買い、そのあとはカフェでミルクシェイクwithエスプレッソをテイクアウトして、ホテルの隣にあるビルに行って日本人のいるオフィスに挨拶をしに行く。そして、頃合いのよいところでモシとおさらばである。

まだシリングが結構残っているので、頑張って使いたいところだが、なんとかなるだろうか。運転手でも雇えばいいのだろうか。

 

まあそれはともかく、、、

今日ももう終わりだ。

と、73回繰り返していたら、本当にアフリカの旅がほぼ終わってしまった。もうあとは飛行機に乗るだけで、そうしたら日本に着いてしまう。信じられない。

 

終わりに近づくと、なぜか楽しいことが起きて(しかも今までよりも際立って見える)、終わってほしくなくなる現象があるが、今はそれが起きそうで起きそうで、そして起きかけている。あぁ、なんだか終わってほしくないとも思っている。でも、終わりは来る。

 

まずは飛行機に乗るまでの過程をちゃんとクリアすることが必要だ。意外とモシからキリマンジャロ空港までは50km近くある。1時間ほどかかるので、時間には余裕を持っていこう。

 

ともあれ、キリマンジャロも含めて3週間ほど過ごしたこのモシともお別れである。

なんというか、今回の旅でわかったのは、今後また長期旅行をするとして、あちこちの観光地にびゅんびゅん行くのではなく、ある土地ある土地に3週間や4週間くらい根付いて滞在する方がよいということがわかった。そのぶん、それくらい滞在しても大丈夫なくらいにモノも揃っているような場所にはなってしまうが。(ケープタウンとか、モシとか、そういうところ)

モシくらいこぢんまりとしている街に3週間近くもいると、街中で自然に知り合いに出くわす。んで、まわりは挨拶してくる。顔なじみの店ができる。ホテルのスタッフは優しくなる。何もかもがうまくいくようになる。

単純に、現地のコミュニティに入って(お邪魔させてもらって)自分もいち生活者になるみたいなイメージで3週間過ごしていると、本当にモシ市民やケープタウン市民になったかのような感じになるのだ。観光客という垣根を取り払った感覚で過ごせるようになる。もちろん、外見や言語などで相手側からは外からの人間というイメージはどうやっても持たれるが、少なくとも言語の壁は少しは取り払うことができる。そのおかげか、少しはスワヒリ語で会話ができるようになった。

これからまた長期で旅行をするようなタイミングがあれば、どこかに土着するようなイメージで、ひとつの地点をゆっくりとせめていこうと思う。

 

ひとまず、明日に備えて寝よう!

アフリカ73日目〜タンザニア編12〜

キリマンジャロから帰りました。

無事に登頂完了し、ついにアフリカ旅のラストビッグイベントが終わりました。

詳しくは、後日、キリマンジャロ編①〜⑤としてブログに掲載するのでご覧ください。

f:id:daikikono:20190707044647j:image

 

 

 

さて、いまは7月6日の昼12時過ぎ。

意外にも、マラングゲートの入り口あたりは雲が立ちこめ、濃霧のようになっている。すこし寒い。雨もぱらついている。ただ、そんなに気になるほどではないし、今はなによりも「はあ、終わったね」という感覚が強い。そして、うすうす感づいてはいたが、服も身体もバックパックも靴も、すべてを洗いたいと思っている。(笑)

マラングゲートからモシ中心部へ戻ったのは2時ごろ。ツアーのドライバーがぼくらを含めスタッフらをオフィスまで連れ帰ってくれた。その後はオフィスでノートブックに感想を書いたり、写真を撮ってもらうなどして1時間ほどを過ごし、そのまま今まで泊まっていたホテルへ行った。案内されたのはキリマンジャロ登山の前に泊まっていたドミトリー部屋と同じところで、佇まいは同じだが人も荷物も違う。たしかに5日経ったということがわかり、なんだかキリマンジャロから帰ってきた感覚がじわじわと湧いた感じがした。

 

部屋に着いてからは、まずはじめに石けんを買いに行って、そして即シャワーを浴びることに。あいにく、あまりホットシャワーは出なかったが、単に素っ裸になって全身にジャーっと水を浴びられただけでも全然違う。キリマンジャロでは、裸になることはおろか、どんどん着込んでいく。しかも、実は結構汗をかいている。だからこそ、「脱ぐ」という体験がめちゃくちゃ気持ちよいのである。そして、5日ぶりくらいに石けんを使って身体を洗い、頭も顔もしっかり洗うことができた。

にしても、いやあ、数日後には家の湯船にざぶんと入れると考えるとウキウキする。

風呂のあとは、部屋にいた台湾人バックパッカーと、別の部屋にいたカナダ人らとともにインディアンレストランへ。やっぱり腹が減っていたので、バターチキンカレーとライスを2杯も食べてしまった。

f:id:daikikono:20190707043847j:image

 

しかも、なんと友人が「トイレに行ってくる」と言い残し、帰ってきたところでもうすでに支払いを済ませてくれていたというやつをやってのけた。なんという男前な。

そこで「ナイトクラブに行こう!」みたいな話になったのだが、ぼくは今日の下山で膝が痛く、台湾人も行かず、ぼくの友人もすでにぐうぐう寝ているという感じである。

まあ、明日はまる1日空いているので、最後にお土産を買ったり、なにかできそうなことがあれば適当にしておこうかと思う。

 

にしても、来月の真ん中に台湾に行くというこのタイミングで、同じ部屋に台湾人バックパッカーがいるとは!いろいろ話を聞けてしまったのはなんという運だろう。キリマンジャロもずっと天気に恵まれたし、いいことばかりである。

 

さて、今日はちょっと内容的には薄くなったが、それもキリマンジャロが今日の半分を占めており、かつ内容が濃すぎるためである。

冒頭にも書いたが、キリマンジャロ編①〜⑤は、後日、日本に帰ったあとかもしれないが、しっかりまとめて、日にちを合わせたうえで更新しようと思うので、乞うご期待。

 

もうすることがないので、あとは帰りを待つだけになってしまった!!!

 

アフリカ73日目~激動の95時間(キリマンジャロ)編⑤~

昨日は一瞬で寝た。

起きたのは朝6時ごろ。それでも十分なくらい、睡眠時間はがっつりとった。

今日は7時には出発する。

 

今日で、「雲の上の存在」も終わりだ。

ホロンボハットは標高3700メートル。この時点ですでにぼくらは富士山山頂で過ごしていたようなものなのだが、頂上を経験するとここでも十分な酸素を感じ、平気に過ごせてしまうのだ。

f:id:daikikono:20190717194822j:image

 

さあ、今日は一気に20キロほどを駆け降りる。ぼくらは朝7時から勢いよく出発し、5時間ほどかけて一気に駆け降りた。

休憩もほとんどはさまず、ひと息に。「終わる」という感覚が、アドレナリンを引き出したのかもしれない。おかげで翌日からしばらくヒザ付近がひどい筋肉痛に見舞われていた。(笑)
f:id:daikikono:20190717194819j:image

出発時には見なかった、マラングゲート終わりのボードを見て、キリマンジャロ登山を終えた。

 

f:id:daikikono:20190717194846p:image

かかった時間は95時間8分30秒。

地味にコンマ00秒で止められた自分に誇りを持っている。


f:id:daikikono:20190717194811j:image

そのあとは、モシまで戻ってツアーオフィスに凱旋。

立っている2人がガイドで、しゃがんでいるのはポーターの1人。写真を撮ってくれたのは、ウェイター(兼カメラマン)。


f:id:daikikono:20190717194814j:image

いやあ、疲れた。シャワーを浴びる直前のもっとも汚い瞬間である。しかし、栄誉ある汚れでもある。このあと、すぐにシャワーを浴びて最高の気持ちだった。

 


f:id:daikikono:20190717194807j:image

これは、ツアーのノートに感想を書いているところでのぼくと友人とボス(マタタ氏)。日本人の記録もたくさんあり、なんと20年前の日本人の記録も。相当老舗である。このマタタツアー、結構おすすめですよ。キリマンジャロに登りたかったらぜひ使うべきとおすすめします。

ちなみに、チップは2人で350ドル分払いました。

 

 

本当に、「激動の95時間」だった。

キリマンジャロを体験して思ったのは、「フラットな気持ちで臨めば案外願いは叶う」ということ。

要するに、「疲れた!もうやだ!」とかではなくて、一歩一歩着実に歩んでいけば、こんなぼくでもキリマンジャロに登頂できてしまうということ。これは、日常に視野を広げれば、まさに「ひとつずつ着実にものごとを行えば事を為せる」ということにつながる。一喜一憂せずに、ひとつずつ進めることが、最終的に自分の目標や夢の達成につながる。

と、普遍的なことに改めて気づくことが出来た。気がする。タスクが1000個あったとしても、1個ずつクリアしていって、気持ちをフラットに保つ。これ、難しいことのように思えるが、いまのぼく、案外出来てしまったのだ。

今後もこれは続けられるように、努力していこうと思う。

 

そして、ぼくは帰国までのつかのまの日程を過ごし、帰国の途へつくことになる。

 

帰国の際にもうひと悶着あることも知らずに、、、。

アフリカ72日目~激動の95時間(キリマンジャロ)編④~

4日目は、まだ登山3日目の23時からはじまった。

今日は頂上アタックの日だ。

 

さっきまで寝ていたが、たいして眠れはせず、目をつぶりながらひたすら帰国したあとの日本での様子を思い浮かべていた。たぶん1時間ほどは眠ったが、夜に起きて活動を開始するということがあまりないので、テンションはヘンな感じだ。いまだに、これから頂上へ向かうという感覚が大してないのだ。

起きてからは、ぼくも友人も黙々と残りの衣類を着込んで、15分ほどかけてフル装備になった。23時を過ぎて、ガイドとウェイターの3人が部屋にやってきた。

「これから頂上へのぼるよ」と伝えられ、ぼくらはストックと自分のデイパックを背負って、キボハットのベースキャンプを出た。

ほとんど上を向くことがなかった(装備的にも可動域が少なかった)のだが、星はめちゃくちゃ綺麗だったのを覚えている。

しかし、それもつかの間。基本的には下を向いて登る。なぜなら、地面は砂と石の坂道だからだ。ちょっと高級な感じの和食屋の入り口前の小道が玉砂利の道みたいになっていることが多いが、あれのような感じだ。歩くたびに「ザッザッ」と音がして、時にすべって転んでしまうような坂道を登っていくのだ。しかも、あたりは真っ暗。頼れるのは各自が持っているヘッドライトのみ。前にいる人の足元を照らし、自分の次の一歩のポジショニングを決める。前にガイドがいるので、ガイドが踏んだところにぼくも足を置く。

ちなみに、マラングルート(今回のルート)でキボハット(4700メートル)からウフルピーク(5895メートル)までに5つのチェックポイントがある。

だいたい1時間おきくらいにチェックポイントに到着する感じだ。最初の3つのチェックポイントは、山の中腹にあり、登っている最中での到着となる。あとの2つは、頂上の一角というか、坂道を登り終えたところにある。

さて、最初のチェックポイントであるウィリアムポイントに着く時点で、標高は5000メートルを超えていた。と同時に、ぼくは息絶え絶えになりながら歩いていた。心拍数は常に180に近い状態。少しでもペースを乱して歩みを速めたりすれば、ぶっ倒れるような感覚に襲われていた。

そして、次のチェックポイント(名前を忘れてしまった)に着いたのはその1時間後。だいたい2時前くらいだ。標高は5200メートル台。そこまで大きな変化なく、常にハアハア言った状態で到着。ここらへんから、持っていた水が凍り始めていたのを覚えている。氷点下になっていたのだろう。だが、幸いフル装備だったために「さむい!」という感覚はなく、むしろ暑いくらいだった。

次のチェックポイントはジャマイカンポイント。標高は5400メートル台だ。このジャマイカンポイントを越え、次のチェックポイントに着けばほぼ登頂となる。英語でいう「one of the peak」という感じだ。

しかし、ジャマイカンポイントを越えたあたり、もっといえば、そのひとつ前のチェックポイントに着いたあたりから、あまりにも呼吸にプレッシャーがかかっていることから少し胃の中のものがこみあげてくる感じがしていたのだ。

、、、吐いた方がいいかもしれない。

そう思ったのは、5400メートル地点のジャマイカンポイントを出発する直前だった。思えば、ぼくは固形物をこの12時間ほどでほぼ食べていない。出発前に1枚だけ食べたクッキーのみである。あとは水と紅茶だ。

この気持ち悪さを抱えたまま登るのはきついと判断したので、ぼくはジャマイカンポイントでいちど自ら吐くことにした。指をのどにつっこみ、ガイドに背中と腹を支えてもらいながら、戻した。しかし、あまり内容物が出てくることはなかった。そのあと少し水を飲み、再び出発。ちなみに、ジャマイカンポイントから次のチェックポイントであるギルマンズポイントまでは、坂道から岩場へと道が変わる。歩くというよりは、階段をあがるような感じの脚の使い方になる。ここにきてそういった道になるのは今思えば本当にきつかったが、当時はあまり考えずにひたすら登ることだけを考えていた。

そして、太陽が出ようとする5時ごろ、ぼくらは頂上の一角、ギルマンズポイントに到着した。この時点で標高は5685メートル。そこに着いたところで、ぼくは座り込み、その瞬間再び吐き気が襲ってきた。ぼくはもう一度吐くことにした。今度は、しっかりと出た。かなり汚い話だが、仕方のないことである。

あと200メートルほどでぼくらはアフリカの頂上へ着く。

ギルマンズポイントからは、精神力だけで登った感じだった。すでに2回吐いて、ぼくのエネルギーは空になりかけていた。

そこから歩くこと1時間ほど。ぼくらはついに最後のチェックポイント、ステラポイントに到着した。標高は5739メートル。もう、すぐだ。

山のてっぺんの平たいところを歩いた感じだったのだが、地味に上がったり下ったりという道だったので、このタイミングでの登りがぼくにはこたえた。

結局、ステラポイントでも再び吐き、ぼくはこの数時間で3回も自分から吐く行為をしたのである。その時点で日は昇りはじめており、友人は先にウフルピーク目指して歩を進めていった。ぼくは3回目の嘔吐で、完全に体力を失ってしまった。脚は10歩ほど動かすだけで熱くなり、疲労を肉眼で見られるくらいに実感していた。しかし、ステラポイントも越えた先は、残すは頂上、ウフルピークだけである。

ステラポイントからウフルピークまでは、きっと距離にしては1キロもなかったと思う。しかし、ぼくにとっては長い長い道のりだった。

このアフリカ旅行、最後の道である。

感慨にふけりたい気持ちもあったが、現実はそうではない。ぼくは3度吐き、標高は5800メートルに差し掛かっている。命のことを考えなければならない標高だ。

ガイドに寄り添ってもらい、一歩ずつ進んでいく。何度も休憩をとった。文字通り、「死にかけて」いた。頂上で日が昇る瞬間をみようと意気込んでいたが、ぼくにはそれはどうでもよかった。朦朧とするなか、後ろを振り返ると、すでに太陽が全身を使ってこちらを見つめていた。あぁ、日が昇っている。少し暖かい。寒さは感じない。太陽は偉大だ。そんなことを考えながらも、目の前にいる悪魔のような疲労と胃が収縮している感じ、そして止まらないしゃっくりを抱えつつ、ぼくは頂上に向けて進んでいった。

そして、日も出て久しい7時過ぎ。8時前。ぼくは、ウフルピークに到着した。友人もいたが、すでに結構な時間いたのでぼくとすれ違ったところで下山していった。

ぼくはアフリカの頂上にたしかに着いたのだ。ぼろぼろになったが。この上なくきつく、ぼろぼろになったが。

ぼくは、5895メートル地点にいて、そこで太陽の姿をみた。

不思議と、特別な感動をすることはなかった。太陽は同じように美しかった。

しかし、これがぼくにとってのアフリカ旅行最後のイベントであり、いま、それが達成され、終わったことを実感した瞬間、涙がこみあげてきたのを覚えている。ガイドに思わず抱きついたのを覚えている。(笑)

 

以下の写真は、ウェイターがカメラマンとして色々撮ってくれたもの。

f:id:daikikono:20190714171848j:image

頂上の一角から撮ってくれていた日の出。振り返った時の光景でもある。忘れられない。


f:id:daikikono:20190714171904j:image

頂上にある氷塊。キリマンジャロのふもとからみたときは「小さいな~」と思ったが、頂上から見たらめちゃくちゃでかかった。少し怖いと思うくらい、でかかった。


f:id:daikikono:20190714171843j:image

下に見えるのは、対面にあるマウェンジ山。5100メートルほどのでかさ。ウフルピークに行くよりもずっと難易度の高い山だ。


f:id:daikikono:20190714171851j:image

頂上からみた地球。雲なんてはるか下に位置している。ぼくは、物理的な意味でいえば「雲の上の存在」になったのだ。


f:id:daikikono:20190714171820j:image

ウフルピークでのぼく。とっても疲れていたので、なかなか立つことがかなわなかった。


f:id:daikikono:20190714171825j:image

がんばって立った結果。厳しい顔をしている。


f:id:daikikono:20190714171901j:image

ウフルピーク付近の一枚。

火星といわれてもあまり違和感がないくらい「生」の雰囲気を感じない。それくらい、ここは標高が高いのだ。あるのは岩のみである。


f:id:daikikono:20190714171855j:image

地球をバックに1枚。なかなか撮ることのできない写真だろう。
f:id:daikikono:20190714171828j:image

これは頂上にあるカルデラ。今の時期(7月)はこのように、火星のような状態になっている。12月ごろになると氷でいっぱいになるらしい。


f:id:daikikono:20190714171858j:image

ウフルピークから戻る最中での1枚。

自然の無造作な、しかし力強いものを感じさせる巨大な岩々。


f:id:daikikono:20190714171833j:image

再びマウェンジ山。


f:id:daikikono:20190714171838j:image

頂上から戻る最中に撮ったステラポイントでの写真。

多少は復活し、話しながらゆっくりと戻っていった。


f:id:daikikono:20190714171831j:image

同じく、戻る最中に撮ったギルマンズポイントでの一枚。

ここから先が、急な坂道を下るかたちとなる。

 

 

そんな感じで、下山も4時間ほどかけて、無事にキボハットに到着。時間はすでに昼12時だ。13時間ほど登山と下山を繰り返し、ベースキャンプに戻るとそこには友人が。「無事でよかったよ!」と言われ、思わず泣きかけて抱きしめ合ってしまった。いやあ、本当につらかったのである。

f:id:daikikono:20190717193313j:image

ちなみに、帰りはこんな感じに座ったりしながら世間話もしつつ、回復もしつつ下山していった。標高は5700メートルほどだろうか。(笑)


f:id:daikikono:20190717193309j:image

帰り道はこんな感じ。真ん中下に小さく見えるのがキボハットのベースキャンプ。帰りは直線の急な下り道をズザザザーと滑り降りていく感じだった。ぼくはあまりうまくできず、結構転んだりした。疲れもあって、かなりゆっくりとした下山になった。

 

 

12時にベースキャンプに着いた後、30分ほど寝て、起きて昼食をとった。

今日は、このままもうひとつ下にあるホロンボハットまで一気に降りる。9キロ先なので、ちゃんと降りられるか心配だったが、標高は嘘をつかない。4700メートルまで降りてからというもの、酸素がある程度身体に行き渡ったみたいで、あわせて少しの休息と昼食がぼくの身体を回復してくれた。おかげで、この日のうちにホロンボハットまで降りることが出来た。5時間ほどかけて、ガイドの1人といろんなことを話しながらゆっくりと降りていった。途中、日本人登山者にも出会ったりと、いい体験ができた。少しずつ頂上から離れていくことを実感しながら、同時に、確かに家が近づいていることを待ち遠しく感じていた。

ホロンボハットに着いたのは夕方の5時前。

お腹もすいていたが、いざ夕食を食べるとすぐにお腹いっぱいになってしまった。まあ、疲れがなによりもでかい。あとは、標高が食べ物の許容量を少し抑えてもいるのかな、と感じた。そんな感じで、20時くらいには就寝。明日はいよいよ下山を完了させる日。一気に約20キロを駆け降りる。

 

少しのさみしさと、大いなる達成感を抱きつつ、まだキリマンジャロは終わっていないことを改めて考えて気を引き締めて、寝床についた。

アフリカ71日目〜激動の95時間(キリマンジャロ)編③〜

3日目の朝は5時半ごろからはじまった。


身体に起きていた副作用的な下痢も結構おさまり、とはいってもまだガスが出たりゴロゴロ〜とは鳴るが、それでもかなり良化した。
今朝もトイレに行ったが、下痢はおさまり、ちゃんとした便が出た。食事にスープ系が多いのと、紅茶や水をたくさん摂っているので比較的軟便ではあるが、それでも大進歩である。ぼくの身体は確実に登山1日目から回復していっている。


今日は3700メートル地点からもう1000メートル上がって、4700メートル地点のキボハットへ向かう。そして、今日の24時ごろから頂上へ向けて出発する。つまり、今日は2回登山するのだ。
つまり、これを書いている今から24時間後には、頂上に着いているということになる。気が引き締まる。幸い、まだ頭痛には襲われていない。
今日から、日本では体験できない高度への挑戦となる。まあ、そもそも富士山にも登ったことがないのだが。というか、登山をしたことがないのだが。そもそもアフリカに行く予定がなかったのだが。(笑)
4000メートルを超えたところで、僕の身体がどうなるかはわからない。
とりあえず、ポーターに持ってきてもらっていた衣類のなかのタイツや長袖シャツなどを着込んで、残りはスキーで使うようなズボンとダウンジャケット、そして頂上へのアタック用の2ペアのでかい靴下くらいを残すのみである。明日、というか今夜にはそれらも全て着込んで、頂上へ向かう。


歩き出しておよそ2時間ほど経ったところで、こんなものが。

f:id:daikikono:20190714170636j:image

13500と書かれた石は、標高を表していた。13500フィート。

つまり、4000メートルである。そしてこの石の奥にある山こそ、キリマンジャロの頂上「ウフルピーク」を含めたキボ山である。そして、ご覧のとおりもう草木はあまり生えていない。おとといとは全く違った光景に、すこしばかりの興奮を覚えた。


f:id:daikikono:20190714170644j:image

長く続く道。それは頂上につながっている。あまり意識せずに歩いていたが、日本では体感できない大大大自然であった。


f:id:daikikono:20190714170653j:image

途中、ランチのために休憩した地点では、めしを狙ったカラス(ワシのようにデカい!驚きである)が。


f:id:daikikono:20190714170640j:image

歩きはじめてから5時間後の13時過ぎ、ランチブレイクやショートブレイクも4回ほどはさみつつ、キボハットに無事に着いた。


いちど、ランチ直後に動き出したときに、おそらく消化の方に血がまわって頭にいかなくなったのか、少し後頭部に頭痛のような違和感を覚えることはあったが、キボハットに到着する頃には治っていた。
なんと、標高4700メートル地点においてもまだ高山病的な症状は出ていなかったのだ!
息を深く吸うと肺のあたりにチクリとする痛みはあるものの、これは酸素が薄いためなので仕方がない。
キボハットに着いてからは、とりあえず17時30分ごろまで就寝
そして今日の夕食。あぁ、またご飯がいいなあ、でも、最近めっきりスパゲッティも食べていないからスパゲティだったらいいなあ、と思ったらスパゲティが出てきた。嬉しい。しかし、めちゃめちゃ食べたいものの、そこまで胃に入らないのが現実である。一応、お腹いっぱいになるまでは食べた。

にしても、4700メートル地点はさすがに動くだけでけっこうきつい。トイレがベッドからだいたい50メートルくらい先にあるのだが、トイレに行って帰ってくるだけで息が切れる。「ハア、ハア、、、」という感じで、朝イチで駅の階段を駆け上がった時くらいの感じ。それが、歩くだけで少し起きてしまうのだ。

 

さあ、夕食も済ませて、今度は22時30分ごろまで就寝。

とはいってもあまり寝られはしなかった。

なにせ、これからアフリカ最高峰に挑むのだから。

アフリカ70日目〜激動の95時間(キリマンジャロ)編②〜

就寝中、なにかしらの理由で何度も起きることには苦痛を感じるのが普通だ。

それがキリマンジャロ登山中ならなおさらである。


ぼくの身体は、昨日の夜ごはんを食べ終わり、寝床についたあたりからおかしくなりはじめた。腹痛はまったくないのだが、腹が「うおおおおお」と鳴りはじめ、トイレが一気に近くなったのである。1度トイレに行って再び寝床についたのだが、、、

「突然の下痢」によるトイレ起床が夜に数回あったところから、2日目ははじまる。

腹を壊したわけではない。なぜなら、腹痛はまったくと言っていいほどないからだ。食べものに当たったのなら、確実にずきずきとした痛みも襲ってくるはずだ。ぼくはこの下痢の原因をいくつか予想した。

最終的に、おそらく「高山病薬」の服用による副作用であるとの結論に至った。

どこかの記事でも読んだが、高山病の薬を飲むとトイレが近くなるらしい。そして、登山前にモシにあるファーマシーで買った高山病薬(日本でも処方されているようなやつ)の副作用の欄にも、たしか下痢の症状があると書いてあった気がするのだ。それに、この薬は人生で初めての処方である。そう考えると、薬の副作用による下痢が起きたと考えるのは想像に容易い。ただ、ポジティブに考えれば、薬が効いているともいえる。この下痢もかなりきついのだが。(笑)
そのぶん水もたくさんとっているので、身体の循環はしっかりできているかもしれないと考えると、下痢になることも「高山病」になるのに比べればまだマシだと思えるわけである

そんななか、2日目。朝から雨が降っていた。
8時過ぎに出発。持ってきたユニクロのポケッタブルパーカーがその撥水性を十分に発揮してくれ、中身の服は全く濡れずに済んだ。歩きはじめて2時間半ほど経ったところで雨もやみ、その1時間半ほどした12時過ぎごろ、途中のハーフポイントに着いたのだが、その頃には青空も見え、しばらく日なたにいると暑く感じるくらいの天候になっていた。

しかしまあ、カンカン照りにもならず、雨も午前中にパラパラと降って、雲もいい具合にあった状態で登られたのは体力的な面でものすごく助けになった。
ハーフポイントに着いたところで、登山を開始してから24時間が経っていた。全く違う光景にあまり実感はないものの、一歩一歩進むごとに疲れと同時に頂上へと近づいている感覚は確実にぼくに刻まれている。

昨日の夜から発生した下痢の症状はいつ何時も襲ってくる。上でも書いたとおり、腹痛はまったくないので、これはもしかしたら本当に高山病薬の副作用かもしれない。ただ、これまたちょっと汚い話になるが、体験として書かせてもらうと、水などをのんでげっぷをすると、昨日の昼に食べたゆで卵のにおいがはっきりとするのだ。まるで、24時間経った今ですらなお胃の中にあって消化されていないかのように。ゆで卵なので、熱湯には通っている。おそらく、時間もそんなに経った代物ではなかっただろう。ただ、なぜまだ胃の中にあるような感覚なのだろうか。もしかして、卵が実は「アタリ」だったのだろうか?まあここまで疑いをめぐらすと、自分の体質としか言えなくなるし、実際、ぼくはお腹がけっこう弱い。高山病薬、登山の疲れ、めしの相性、全てを鑑みたとき、ぼくのお腹がこうなるのはわりと必然的な事象だったと思える。

 

そして今日の活動をはじめて7時間ほど経った15時過ぎ。

今日の目的地、ホロンボハットに到着。標高は3700メートル。ほぼ、富士山山頂である。幸い、薬ときつすぎないペース、ちゃんと食べたことによって、高山病的な症状は起きていない。特に、頭痛はまだ大丈夫だ。
今日はこの3700メートル地点で一泊するので、呼吸をしている間に身体に取り込まれる酸素の量が徐々に減ってはいくだろう。その時にどうなるか。

f:id:daikikono:20190714164630j:image
f:id:daikikono:20190714164626j:image

ホロンボハットから見えるこの絵みたいな頂上は、マウェンジピークという、キリマンジャロにあるピークのひとつだ。ここも5300メートル近くはあり、ぼくらが目指すピークよりは低いものの、難易度は段違いに高いらしい。プロを雇い、政府から認可をもらわないと登られないらしい。
f:id:daikikono:20190714164621j:image

もうぼくらは雲の上の存在である。
f:id:daikikono:20190714164633j:image

そして、こちらが目指す頂上、ウフルピーク。

まだ2000メートル以上あるが、すこしずつ近づいてはきた。

 

さて、高山病についての話をすると、ここからが高山病にかかるかどうかの話になってくる。翌日から4000メートルを超える標高での活動となるため、身体にも結構な負担がかかってくるわけだ。ひとつの策にして最善の策は、たくさん水を飲むこと。これが不可欠だ。そして食べること。
昨日と比べてペースもつかみ、すこし回復したなかで、夕食は、願ってもないライス、そして肉や野菜のカレー状のおかず。このタイミングで馴染んだものが出てくるとかなり嬉しい。味も馴染みあるもので、腹いっぱい食べた。やはりたくさん食べてたくさん飲むことが大事だ。
夕食後はガイドと明日の予定について少し話して、20時過ぎには就寝。

これもちょっとアレな話だが、寝ているとき、ものすごい量のおならが出てしまった。しかしこれは、ぼくの大腸プロブレムの終焉が近しいことを意味していたのかもしれない。
先ほども書いたが、げっぷをしても、もうゆで卵のにおいは消えたのである。つまり今までのげっぷのにおいは、身体中に充満していたガスが原因で、そのガスが寝ている間に出切ったということになる。おそらく、薬の副作用の影響で身体のなかでガスが充満し、下痢にもなったのだろう。思えばお腹は叫ぶように鳴っていたし、おならを出すことも少し躊躇していた自分がいた。(もちろん、軽はずみに出してしまえばそのまま下痢も出てしまうかもしれないからだ。本当にきたない話だが、これらの症状は「キリマンジャロ登山をしながら」の話であり、家でゆっくりしている時の話ではない。ちょっとしたトラブルが、ペースを崩し、高山病発症につながるリスクを負っているのである(笑))

しかし、夜になり、下痢の症状もすこしずつおさまり、おならも出しまくったおかげで、昨日は4回くらい行っていたトイレも、1回のみで済んだ。
ここにきて、身体が好調になりつつあったのである。

これはかなりの朗報だ。口数も増え、気持ち的にも上向きになっていった。

 


寝ている時に気付いたが、深く息を吸うと肺や気管支のあたりがツンと痛む感じがする。これは、酸素濃度の低下によるものだろう。あと、空気が冷たいのもあるのかもしれない。これに関しては、しっかりと呼吸を意識しながら進んでいくことを忘れずにしていこうと思った。身体の順応も待たれるが、まずはできることから。

そんな感じで2日目は終わりを迎え、3日目へ突入する。

 

アフリカ69日目〜激動の95時間(キリマンジャロ)編①〜

7月2日。

今朝は早く起きた。なんたって登山日だ。


実は、懸念事項となっていた「カードで支払えない問題」が解決した。

ぼくは楽天カードを使っていて、これを海外でネット決済する場合、3D認証をする必要があったのだ。しかしそれをしていなかったから決済ができなかった。調べてみると、ネット上で認証ができるとのことだったので、やってみたら一発でいけたのである。
その後、友人のカードも認証がうまくいったようで、決済は無事に済んだ。
出発30分前にして、ようやく「完全に出る準備が整った」のである。
ツアー会社のボスも「ソーリー。アフリカ。」と言っていたが、いやいやそんなことはない、ぼくのカード認証のほうにこそ責任があると思ったのが事実だ。
これが9時までの話。


そして、9時30分。

ツアーオフィスからキリマンジャロに向けて出発した。
初心者向けのマラングゲートを選んだので、起点となるマラングゲートへ。

f:id:daikikono:20190714161807j:image

これは入り口で、ここから歩いて3,4分のところにマラングルートのスタート地点がある。
f:id:daikikono:20190714161804j:image

で、これがマラングルートの入り口。ゲートの上側にスタート地点と書いてある。そしてこの裏側には、「おつかれさま」的な文言が書かれているという。絶対に振り向かず、帰りまで見るのをお楽しみにしておこうと思った。


オフィスからゲートまで車で向かっていた(距離にしてなんと50キロほど。意外と遠い)が、すでに風が少し涼しくなっていた。
上の画像のマラングゲートに着いてからはしばらく待機。荷物の準備など。


そして12時30分過ぎ、いよいよマラングルートからキリマンジャロ登山開始。


1日目は8kmの行程をだいたい3時間ほどでのぼる。標高は、約1700メートルから2700メートルまで上がる。はじめの数分は景色を楽しむ余裕もあったが、ぼくは体力がなく、景色を見て進むのはすぐに終了。
昼休憩をはさみ、およそ3時間30分後の16時ごろに1日目のゴール、マンダラハットに到着した。

f:id:daikikono:20190714162507j:image

友人とぼく。いま思えば、1日目が頂上アタックの次に辛かったかもしれない。

やはり、歩きはじめ、登山未経験者の人間の一発目だったので、体力の使い方やペースなどがぐちゃぐちゃだったと思う。異様な汗をかいていたし、身体から明らかに水分と塩分ががっつり抜けていっている感覚があったのも、1日目だった。標高は高くなかったが、単純にヘトヘトになったという感じだった。

少ししたのち、ちょっと先にクレーターがあるとのことで、見所らしかったので身体を頑張って起こして行くことに。
f:id:daikikono:20190714162515j:image

なんだか異世界に来ているみたいな感じだ。よーく見ると人がいる。彼らはガイドやポーターといったスタッフだ。彼らがこんな小さく見えるくらい、このクレーターがでかいのだ。なぜこんなのがあるのかはよくわからない。マグマがなんたらと言っていたが、噴火した際にバカでかい噴石が直撃でもしたのだろうか。


f:id:daikikono:20190714162511j:image

そして、クレーターをまたいでそのさらに先を歩くこと5分ほど。

見えたのは、タンザニアケニアの国境。ここから見えているあの村々は、もうケニア国内なんだとか。キリマンジャロという規格外のデカさの山だからこそ見られる景色だ。富士山は静岡と山梨の県境でどうたらという感じだが、キリマンジャロケニアタンザニアの国境でどうたらというレベルである。むちゃくちゃ規模がでかい。

 


いやあ、にしても1日目にして辛い。まあ、1日目というのもあるだろうが。
途中からストックを使って、両手両足を使って登るようになった。
友人は体力があるので、スタスタ行けるようなのがうらやましい。もちろん、ぼくはぼくのペースで歩けていればそれでよいので、がんばろうと思う。今はマンダラハットの小屋にあるベッドで寝ているが、もうしばらくは起き上がりたくない。
クレーターから戻った後は夕食の時間。きゅうりのスープと、たくさんの芋や魚。疲れもあって腹はいつもよりすぐに膨れる感じがした。実際、2時ごろに昼を食べたので、そこまでお腹も空いていなかったのだが、それでも食べないよりは何倍もマシだ。


それも食べ終わり、時間は20時。
明日も朝から登山なので、もう寝床につく。

明日は6時くらいに起きて、準備して、8時には出発の予定だ。

 

しかし、ここでぼくの身体には異変が起きていることを、まだぼくは知らなかった。