ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

なにも考えていなかった男がアフリカに行くことになるまで   ~その肆~

前回の投稿からだいぶ日が空いてしまいました。すみません。

この間、僕が何をやっていたかといいますと、、、

〇バイトしている塾の冬期講習の準備に追われていた

〇教職過程におけるレポートを全て終わらせた

〇映画を見るのに力を入れていた

〇友達と話していた

〇本を読んでいた

〇モンハンをしていた

という感じです。

 

さて、前回は、、、確か、、、「投票期間最終週までの道のり」を書きました。

今回は(ようやく!笑)アフリカ行きが誰になるのかが決まる投票最終週(7/16~7/20)の顛末を書きます。

 

7月16日、月曜日。朝起きた僕は確か呆然に似た驚愕しました。確かもうこの時点で、例のマサイ族の写真と僕の写真の間には「数十」のいいね差がついていて、つまり2週間僕がやっていたことを、今度はやり返されたかたちになったのです。

正直、残り数日で、もう尽き果てかけていた僕には今更巻き返そうとする胆力もなく、ただ無かったことにして―しかし心の中では「よい経験になった」「ここまできてもらえないなんて、くやしい」「いいねしてくれた人たちに面目が立たん」というような気持ちが渦巻いていた―過ごそうとしていました。

 

実はこのあと、7月19日までは大した動きが全くありませんでした。

ただただ、僕はマサイ族の写真にはいいね!がどんどん増えていくのを見ていただけなんです。その間、僕の写真にはもういいね!がつかない状態でした。

思えばこの7月16日から19日までの数日間が、いちばん「もうないな」とあきらめていた期間でした。

 

そして、7月19日、木曜日。投票期間終了の前日。

僕は、奇跡的なメッセージをもらいます。

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Facebookから。横にアイコンが付きますが、一応隠しておきました。

このメッセージを朝5時14分に受け取ったとき、僕の中で”もう一度やってみるか”という気持ちが湧き、あがくことにしたのです。

ちなみにこの時点でいいね!の差はだいたい70

もはや僕にはそれを覆す力はありません。だから、このメッセージをくれた彼(以下、Mさんとします)に頼るほかになかったのです。

このMさんとは、意外と6年前くらいからFacebookでつながってはいたものの全然会うことはなく、ここ1年ほどで空いていた5年分を埋めるくらい遊んでいるような仲です。彼の考え方や行動力には目を見張るものがあり、いつもおもしろいことを望んで体現しているような、そんなエンターテイナーです。

 

 

そしてこの夜、彼と僕はある行動に移します。

それが、、、”渋谷のスクランブル交差点でのいいね!集め”。

たまにテレビの取材とか、フリーハグとか、ビラ配りとか、街宣とかであのスクランブルを利用している人を見ることがありましたが、まさか自分もあのスクランブルを利用することになるとは思いもよらず。

いいね!集めをした際の感じがこちら↓(写真はMさんが撮ってくれました)

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とてもいい経験でした。

フリーハグのお兄さんになんとか協力してもらって少しだけ一緒にいいね!集めをしてもらったり、エジプトやオランダ※からの観光客にもいいね!をもらえました。

※オランダから来ていたのは女子大生(たぶん)3人組。その中に1人すごくかわいい中国人留学生がいて、連絡先もちゃんと聞けずじまいだったのですが、数日後、新宿で再びその3人組にばったり!そこでなんとか連絡先を聞き、アタックを仕掛けるもダメだったという出来事がありました。(笑)

この渋谷のイベントは7月19日の夜22時~24時頃までの出来事。

しかし、ここで僕らは最後までマサイ族の底力を見せつけられるのです。

僕+Mさんの2人態勢で追い込みをかけましたが、追い込みをかけるのは相手ももちろん同じ。ここにきて、僕らが20いいね!集めれば相手は25いいね!あつめてくるような状況だったのです。あきらめムードは、渋谷の喧騒の中にはっきりと僕の心の中に生まれていたのを今でも覚えています。

結果的に、このスクランブルでのいいね!集めは、70いいね!差を40いいね!差くらいに縮めた程度。時間も時間だったので、消化不良のまま帰ることに。

僕は平成最後の夏を渋谷のスクランブル交差点に使い果たしました。

 

しかしここで友人のMさんが、

「ここから先は僕がやってみるよ。」

と一言。

僕は、疲れ、そしてどうしようもできない無力感の中に、彼のおかげで希望を見出せました。

 

 

そして、運命の7月20日

朝起きたら、なんと、なんと、、、!

差がほとんど縮まっていたのです!!!

この時は驚きました。

見ると、すでに両者のいいね!数は350を超えていたのです。もはや「結婚しました!」レベルのいいね!の付きよう。

Mさんの力で、怒涛の追い上げ、そして追い抜きが行われようとしていたのです!

僕も出来ることをしようとメッセンジャーを起動したところ、なんと通算2回目のメッセージ機能の一時停止!ちなみに1回目は投票期間はじまって数日後のことでした。(笑)

僕には見守ることしかできません。

僕はMさんと連絡をできるだけとりながら、昼の12時を待つことにしました。

 

 

なぜ、じっと待つのはあれほどまでに苦痛なのでしょうか。20日の11時から12時までの1時間は、人生で一番長い1時間だったかもしれません。「居ても立っても居られない」とは、まさにあの時の僕のことを言うと思います。

この時は、7月下旬なのに歯をがたがたと震わせて汗をかいていました。

ただ、その中で僕はにわかに勝利を信じ始めます。そう、僕の写真のいいね!増加が止まらないのに対し、マサイ族の写真がすでに止まっていたのです!

数十分前に見たいいね!数が変わらないことに気づき、そこでにじむ汗がようやく止まってきたのを覚えています。

抜きつ抜かれつ、およそ3週間の戦いを経て、ついに、僕の写真がマサイ族の写真のいいね!数を抜き返しきったのです!

 

 

そしてカウントダウン、12時まであと数分。

僕、もとい、僕と友人のMさんは、歓喜の瞬間を待ちわびていました。

そして12時。

僕とMさんはいいね!の数が一番多いことをはっきりと確認し合ったうえで、勝利しました。

最終的に、472いいね!がつき、64いいね!差で勝利しました。

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ここで、僕のいいね!紀行はひとつの終わりを迎えます。

手伝ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。

そして、Mさん。あなたがいなければ僕のアフリカ行きは決まってません。感謝しています。ありがとうございます。

あなたのいいね!が、本当に僕の人生をよくしてくれそうです。

 

 

 

 

しかし

まだ戦いは終わっていませんでした。

例えるならば、オモテルートの全クリ。ウラルートの幕開け。

 

~その伍に続く~