ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ28日目〜モザンビーク編⑧〜

バスの椅子でする睡眠の仕方に困りつつ、目を開けたら時間は朝3時55分。バスのエンジン音とともにぼくは起きた。

 

4時にはバスがすぐに発進した。眠気もあるにはあったが、それ以上にバスが発進してからわかったこととして、「寒い」ということだ。

5月下旬のモザンビークの早朝は寒い。

f:id:daikikono:20190523061457j:image

寒くてもこういう感じにアフリカらしい日の出が見られるのは嬉しいが。

 

たぶん、ぼくのすぐ横にある窓がすぐに開いてしまうから冷気が直接吹きかかってくるのも原因ではあるだろう。とはいえ、バス内の、風がある状態の感覚は日本でいう11月下旬くらいのものである。北半球と南半球の差がぴったり出ているといったところか。ただ、こちらは陽が出るととても暖かい。そして昼はうそのように暑くなる。あまり湿気がないからかはわからないが、温度差で風邪をひいたり、みたいなのはない。

そんなこんなでしばらく乗っていると、橋の前でバスが止まった。バスのみならず、トレーラーなどの他の車も足止めを食らっているようだ。橋を見てみると、ブルドーザーのような重機が橋を渡っているのが見えた。なるほど、それ待ちである。

f:id:daikikono:20190523061427j:image

しかも、キャタピラのゴム部分が壊れたのか、橋の地面を傷つけないように5、6人がかりでタイヤを重機の接地部分にバケツリレーのようにえっさほいさと置いては転がし置いては転がしを繰り返していた。

 


しばしの休息も終わり、バスは再び動き出す。

すでに30時間近くバスに乗っている。

はじめて交通機関に“飽きてきた”という感情が湧いてきたのもこの時あたりからである。

午前10時、ぼくらの前の座席にオーストラリア人のバックパッカーが座っていたのだが、彼の目的地はもう、すぐそこだった。

すっと立ち上がり、手際よく荷物をまとめはじめる。動くバスの中でたいしたものだ。ぼくなら気持ち悪くなる。

そして、のべ1週間ほどともに過ごした、つかの間のコンパニオンとは案外あっけなく別れた。でもこれもまたこれでよい。彼はあまり群れることもない感じで、感性としては日本人の忙しなさに少し近いものがあった。プラグマティックな感じがあって「バックパッカー上級者なんだろうな」と節々で思った。

一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり(ぼくはコーラだったが)バスチケットを買いに行ったりしたのはなんだかよい思い出だ。利害が一致したから一緒に行動したという感じがあって、むしろ気を遣わずに過ごせた。よい1週間を過ごせたのは彼のおかげだ。全然知らないところで降りていったが、それもまた彼らしい。きっと情報通なんだ。

 

 

 

彼が降りてから少しして、ぼくらの目的地、モザンビークの首都マプトまで「715km」の標識があった。東京から広島くらいだろうか。よくわからないが、休憩時間を除いても少なくとも24時間以上は走っていてまだ715kmあるというのは驚きである。実距離でいうと、ナンプラからマプトまでどれくらいなんだろうか。あまり考えたくはないが。

 


今回の旅行、現状で長距離長時間移動として挙げられるのは

アディスアベバハラール(12時間30分)

ハルゲイサジブチ(15時間30分)

・ナンプラ〜マプト(40時間)

である。

どれも凶悪な思い出しかない。

とはいえ、ナンプラ〜マプト間はまだマシかもしれない。というのも、道がある程度しっかりしているからだ。ちゃんとした道路を走ることがどれだけ大事かを思い知った。なんども言うが、モザンビークは国土がでかい。国土がでかい。国土がでかい。まだ整備されていない道も多い。そういう意味では、日本は国土が狭いぶん道なども一定のクオリティがすでに担保されている。老朽化などの問題もあるにはあるが、こちらでの「そもそも道路が、、、」という問題はクリアしているのでずっとよい方だと思った。

 

f:id:daikikono:20190523061658j:image

食べ途中だが、このボリュームで180メティカル。300円いかないのは日本では真似できない。

 

 

しかし、このマプト超長距離移動を乗り越えると、いよいよきつい行程ともおさらばする可能性が出てくる。

というのも、エスワティニに入った後に南アフリカに入るが、南アフリカ内の移動はこれまたバスではあるのだが、ここはさすが南アフリカ、バスが超しっかりしているのである。おそらく道路もそりゃいい感じなのだろう。夜行バスもある。なんでも「Sleep Liner」と名付けているようだ。日本である。調べたら、150度までリクライニングできるわ、1席にひとつUSBポートがあるわ、トイレもあるらしい。そこらへんはケチらずにいくことにしよう。

このあと、友人とまたしばらく別れることになる。ぼくは南アフリカで1か月ほどだらだらしようとおもっていて、友人はその間、ヨーロッパ中(主に東欧)を弾丸で行きまくるらしい。そして最後にタンザニアキリマンジャロにて合流といった感じだ。

 

 

 

さて、今は午後2時。あたりはすっかり海沿いのバカンスエリアになった。ここで、同じくともに時を過ごしてきたフランス人カップルと別れることになった。

彼らはモザンビークを最後に、一度母国へ帰るらしい。なんでも、この後は難民向けのチャリティー関係の仕事をしようと考えているんだとか。素晴らしいことだ。いつか一緒に働ける日が来ると願ってもよさそうだ。

 

 

 

さて、時間は夜8時。

正真正銘、バスに乗ってから40時間が経った。もうマプトまであと20kmほどだ。周りは街灯が立ち、車以外の光も少しずつ目立つようになってきた。とはいえアフリカの夜は暗い。というか40時間乗ってもまだマプトまで20kmあんのかよという感じなのだが、もはやそこは誤差として、どうでもいいこととしよう。名残惜しさは、特にない。

 


バスに40時間乗ってわかったことは、バスには40時間も乗りたくないということだ。

1週間の法定労働時間をずっとバス乗車に費やしてみたと考えてもらえばよい。嫌だろう。

嫌だった。まだ乗っているが、早くバスから立ち去りたいと思う。別にバスに乗るのはよいが、40時間はもうごめんである。

 

 

 

さて、マプトに着いたがやることは特にないので、シャワーを浴びて少し外に出たら寝ようと思う。

今ようやくバーに入り、Wi-Fiにつながった。

やはりベンフィカのユニフォームが貼ってある。

 


それに気づいたぼくに気づいた男性が、「さっきバス停でタクシードライバーと話してたろ?」とぼくらを見ていたらしく、今ちょうど同じテーブルで話をしている。

 


マプトは首都だが、首都が全てではない。

とオーストラリア人の彼も言っていた。

明日にはエスワティニに入ると思う。なんと2時間くらいで行けるらしい。

 


Wi-Fiにもう少し浸り、その後は久しぶりのベッドに浸るとしよう。