ひょんなことからアフリカへ

ひょんなことからアフリカへ行くことになった男がアフリカから日本に帰ってくるまでの日々を描いた日記。

アフリカ61日目〜タンザニア編⑤〜

「61日」という数字にこんなに意識したのは初めてかもしれない。

1日目から毎日記事を書いてきて、翌日にずれたり状況的に2日分まとめることもあったが、それでもほぼ毎日更新してきて、ぼくのブログのタイトルは1日ずつ増えていった。

そして今、61日目まで来た。


再来週には、日本にいる。


この言葉が今のぼくにとって、最も現実味のないことばだ。


日にちを数えつつ、「はやく帰りたい」とか「日本が恋しい」とか「カップ焼きそば食いてえ」とか色々考えたものだが、再来週に帰るということにうまく現実味を持たせられない。不思議なものである。要は、アフリカから帰りたくない感覚がいま、あるのだ。

でも、同時に、永遠に日本に帰らず、アフリカやどこかの大陸にいようとは今は思わない。

なぜなら、この感覚は一時的なものかもしれないし、いわば感覚の麻痺によるものかもしれないからだ。

あ〜アフリカから帰りたくねえ〜なんて思うのは、アフリカから帰れるから考えることである。日本に帰れるから考えられることである。

時間を限りあるものだととらえているからこそ、いまに輝きを見出せる。


先日、ふと自分の感情や意識が暗い暗い、光が届かない海の底に落ちていくような感覚になった。そしてぼくは、それを助けることもできず、ただ見守るだけである。

しかし、自分の意識や感情が深い闇の底に落ちていくのを感じたとき、それをわざわざすくい上げようと頑張る必要はなく、好きなだけ、落ちたいだけ落ちればよいと悟るようになった。無理矢理に「だいじょうぶだいじょうぶ!」と言い聞かせても、しょせんそれを嘘だと最もわかっているのは「自分」である。

たしかに「宣言効果」的なものとして、言い聞かせていたらそれは現実になるというのも大いに納得するし、それは本当にあると思う。

それをふまえた上で、ぼくは落ちこんだりネガティブな感情になることも、ポジティブになる感情と同様に大切にすべきであるということを覚えた。


とまあ、あんまり関係ないことを書いたが、とにかく、再来週には自分の部屋のベッドで寝ていることを考えると、あまりにも非現実的!おとぎ話を読んでいるような感覚になる。

ほかにも、アディスアベバで会ったムスリムの優しかった彼は今も生活していて、ソマリランドハルゲイサからジブチ国境まで送ってくれたドライバーは今何をしていて、マラウイで出会った子どもらはどうしているのか、モザンビークで見たあの人やエスワティニで見たあの人、南アフリカで会った彼ら、そしてアフリカを移動中に見た数多くの、自然の中で暮らす人々が今も生活していることを考えると、不思議な気持ちになる。

他の人らが生活しているのは当たり前のことだが、4〜5歳の子どもらがヤギを従えていたり、おばちゃんらが停車中の列車に群がって作物を売っていたり、おっちゃんが必死に物を売ろうとしてきたり、顔的にインドあたりからの移民だと思うが、南アフリカヨハネスブルグ街中の小さなビルの一角(昔ながらのタバコ屋くらいの大きさの間取り)で携帯修理ショップをしているのを見ると、自分以外の人らの生活がぐっと細かく見えるようになるのだ。


地図アプリのように、詳細になる感じ。

大きい川だと思ってよく見たら、何本もの小さな支流に分かれていたみたいな、その感じ。地図アプリなら拡大も縮小もできる。縮小すれば、そのぶん地図はアバウトになる。

だが、ぼくの頭の中の地図は違う。

こうやって見聞きして触れて感じたことは、いくら縮小しようともアバウトになることがない。ずっと具体的なままだ。


今後、ぼくが教員になったとき、少しは感情をもって話ができるかもしれない。


とにかく、この61日間、1日たりともエキセントリックでない日はなかった。行動を起こしていない日も、あるにはある。

だが、行動と自分の感情の変動は、あまり関係ないくらい、アフリカにいることそれだけで十分ということがわかった。

もちろん、行動すれば何十倍もすごいことになる。(笑)

とにかく、今回の旅で世界が少し詳細になった。もっと広げたい、とか、さらに細かくしたい、とはまだ思わないが、それでも、ぼくの人生に多少なりとも影響はあるのだろうと思う。ましてや社会科教員になろうとしているのだから、端的に見て関係性はありそうな気がする。

 

 

まあそんなことは置いといて、今日は、以前会ったタンザニア在住の日本人の方に誘われてランチを一緒にすることに。

ホテルから歩いて数分のところにあるPAMOJA CAFEというところ。

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ビーフバーガーを食べたが、うまかった。

でもポテトの揚げたやつが量にしては安かったので、次はあれを頼もうと思う。

 

ここでも新たに日本人に会った。タンザニアでビジネスをしている人だ。

タンザニアについての話など、色々聞くことができた。

 

食後は少し散歩。

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道端にはめちゃくちゃフルーツが売られたりもしている。

 

散歩の足のまま、コーヒー屋へ。

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とは言っても、飲んだのはミルクシェイクwithエスプレッソ。これが甘くて絶品である。10000シリングだが、だいたい460円くらい。スタバのトールくらいだが、これで全然よい。めちゃくちゃうまいし、近いので何度も来られてしまう。

18時前まで話をしていた。正味コーヒー屋に入ってから3時間くらい話を聞いてしまった。

 

ホテルに帰ってからは、たまたまキリマンジャロが見えたので見ていたのだが、隣にカメラを構える女性が。

数日前にもいたな、と思い、「いい写真は撮れた?」と聞いてから、話がスタート。

そのまま彼女のガイドとともに3人で会話が弾み、ホテルから歩いて数十秒の、向かいにあるレストランへ。

ここではザンジバルピザというやつが食べられるみたいで、まあ、クソでかい餃子みたいな代物である。

具を包んだクレープ生地のやつを油でジュワァーと揚げるだけのシンプルなやつ。

これがうまくて腹にも溜まって1000シリング。

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最高である。

 

彼女はスペイン人で、フリーランスのジャーナリストの駆け出しらしく、あわせて色々と勉強もしているということだった。聞いたらぼくの1歳年下で、なんて大人びているんだと感心してしまった。

彼女とはインスタも交換して、こういう時の社交辞令、「日本に来たときにはぼくが案内してあげる」を言って、ホテルに一緒に戻って別れた。

いやはや、こちらでも話が弾み、全部で3時間ほど経ってしまった。

今はもう22時である。

 

つくづく思うが、「いよいよすることがなくなってきたな。明日はマジで何もすることがないかな」と思った矢先に何かが舞い降りてくるのがアフリカだ。

すごいものだ。

 

 

明日も、やれることがまた増えた。

おもしろいもんだな、本当に。